密葬と無宗教葬

「無宗教葬」考(3)

■「無宗教葬」への障壁
 実際に「無宗教葬」への期待は高まっているものの、実施するとなるとまだ少数にとどまっている。
 密葬や小型葬が明らかに増加の傾向が見られるのに比べると、同じ新しい潮流としてもて囃されている無宗教葬はまだ少ないのが実情である。都市部ではそれでも五%内外あるが、全国的には一%以下といったところである。
 日本人の三分の一は非宗教層なのになぜ少ないのだろうか。
 
1慣れていない
 単純な答であるが、これは大きい。数が少ないから慣れていない。したがって特殊に見られる、変わり者に見られる、と危惧するのである。
 密葬でもないかぎり葬儀は社会性を帯びる。社会から奇異に思われないかという不安は大きい。
 また、仏式葬であるなら慣れていて対処にも不安がないが、不慣れな無宗教葬だとどう対処していいかわからないという不安がある。
2成仏しない
 宗教儀礼の本質は(各宗教宗派の位置づけは別として民衆が理解したところによれば)、死者を彼岸(あの世)に受け渡すことにある。「成仏する」という表現は無事に死者をあの世に送ることを意味している。宗教儀礼の伴わない無宗教葬であればそこの点がどうにも不確かである。
「無宗教葬では成仏できない」とする不安は大きい。
3日常性の延長
 葬儀は人の死に伴うものであるから、精神的な危機に陥らせ、悲嘆、惧れ、不安、といった心理を招く。こうした危機は死者の霊が荒れていることの反映として見られたため、鎮魂、遺族の危機心理の鎮静として宗教儀礼は機能した。非日常性に対処する宗教性があった。無宗教葬ではもの足りなさがある。日常性の延長でしかない不満がある。
4無宗教葬への拘りが少ない
 無宗教葬はいいなと思っていても、特に意識して無宗教葬を選んでいる人は少数派である。漠然と選んでいる。だから親戚その他から異議が出ると簡単に覆るという性格をもっている。特定の宗教宗派に属していないから無宗教葬という消極的理由を根拠としたものであるから、一応の形式としての宗教儀礼の提案に対しても抵抗力は弱い。

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