現代葬儀考

「戒名」論議の地平

 

 全日本仏教会が戒名についての本格的な検討を開始しそうである。
 戒名についての社会的関心は高い。一つは、「戒名料」に係わる問題であり、生活者の関心である。これはそのまま仏教寺院の財政基盤に関する問題である。もう一つは、「差別戒名」の問題である。過去において部落民に対して部落民であることを示す戒名をつけたことに対する糾弾とこうした歴史に対する寺院の反省の問題である。

 戒名(法名)は、基本的には法号の2字である。平易に表現すれば出家名であり、仏弟子としての名前である。これに付加された院号、道号、位号は修飾語である。だが、この修飾語が問題である。
 過去において、どんな修飾語を付加するかという基準が、寺院への貢献度と社会的功績におかれた。「死後追贈の褒章のようなものだ」というのは的を得ている。
 寺院への貢献度は、寺院の建立や修繕に貢献したとか、檀家総代として尽力したとか、篤信な信者であったとか寺院または信仰を基準にしたものだから、ここでは問わない。問題は社会的功績である。大名だから、武士だから、庄屋であったから、という階級社会の上の立場という理由だけではなく、下の立場の階級付けまでがされたことによる。この道具として戒名が用いられたことが問題となる。戒名が褒章としてだけでなく、人の社会的階層づけに利用され、ひいては差別の固定化を招いたことが、仏教寺院の体質の問題として批判されたのである。

 今、寺院は宗団全体で差別戒名の調査を行い、その付け直し作業を行っているが、批判は、差別戒名だけの問題ではなく、差別戒名の原因となった、戒名が人の階層化の道具であったことへまで及んでいる。
 他方、「戒名料」は、戦後社会における寺院の民主化の問題であったという側面をもつ。
 戦後、民主化が達成することにより、一般の檀家は、過去の身分によって戒名が階層化されて固定化されることを嫌い、戦後日本社会の実質的な規範である経済力によって新たに階層化することを望んだ。それが民主的だと考えたのである。
 寺院側にもそれを受け入れざるを得ない理由があった。戦前の寺院経済を支えてきた大檀家の没落が相次いだ。大農家が農地解放で没落し、大地主であった寺院そのものも農地解放により経済的基盤を失った。寺院経済を支える新たな基盤作りに迫られていた。

 一方で、都市化により、旧来の檀家ではない新たな都市住民が都市寺院に葬祭サービスを求めてくるようになった。これらを取り込む基準は旧来の檀家としての貢献度や社会的立場以外のものでなければいけなかった。それは戦後社会にあっての認められた基準である金銭を置いて他になかった。
「戒名料」という名称は、戒名の階層付けを新たに経済的な貢献度で行うという表明である。経済の民主化が進み、都市化が進んだ高度経済成長期に「戒名料」が定着し、院号の乱発が行われるようになったのは、理由のあることなのである。
 この後、80年代になると消費文化が成熟し、「消費者」という概念が定着してくる。「安く良質のものを」という考え方は戒名料にも及んだ。ところが戒名料には公認された社会的基準がなかった。寺院側も、おおっぴらに戒名の基準が入手時の経済的貢献度とは表明しにくい。苦々しく感じる寺院も少なくなかった。寺院それぞれの対応の違いが、消費者には戒名料はブラックマーケットであると映った。
 90年代に入ると社会的風潮も変化してくる。特にバブル経済が崩壊して以降、価値観の変化が見られる。褒章を求めない人が増えてきたのだ。世俗化が進み、あの世への信仰が低下したこともこれに重なった。戒名の院号信仰を支えたものは、死者の冥福を願う切なる心情があったことは事実である。まさに欧州の宗教改革時代の免罪符に近い意味を戒名は負っていたのである。だが、あの世信仰が希薄になることによって、その意味すら感じられなくなってきた。この結果、これまでの戒名料批判に戒名不信が付け加わる事態となった。これがジワジワと浸透していき、戒名料収入の低下を招き、将来的には寺院経済の基礎が揺るがされるのではないか、という不安が寺院を覆うようになっている。

 教義的には既に今日の戒名問題を正当づけるものはないだろう。僧となること、仏教徒たることを表明した徴、それ以上のものではない。このことを教義的に意味づけることは可能であろうが、できるとしても法号に対してである。院号や位号などは歴史社会的に説明できるだけである。
 対処としては仏弟子たることを表明し、あるいは授戒した人に対して、法号の2字(あるいは全て院号付きで)を授与するようにするだけである。現状の没後作僧という死後授与を改めることも考えられる。

 だが、問題はそれだけではない。
 戦後に戒名問題が現在のような混迷を招いた原因が寺院経済の維持にあったのであるから、寺院経済の基礎をどこに求めるかを新たに考える必要がある。戦前までの寺檀制度は寺院経済の基盤としてあった。だが寺檀制度の基礎となる寺院と檀家の関係が葬祭サービスに偏ったものであったことがが一つの問題である。
 寺院の活動が何であるかを明らかし、それが信徒に理解されて活動資金が支えられるという構造作りが課題となるだろう。
 もう一つは、人の階層づけが戦前は階級社会、戦後は経済中心主義を無批判に基準にして行われたことへの検討であろう。宗教は民衆に寄り添って力になる必要があるが、社会に埋没することではないだろう。このことをきちんと考えないと、戒名問題そのものは解決しても、姿を変えて同じような問題が再発するであろう。
 ことは寺院経済に絡まった問題であるから容易ではない。できるだけ手をつけないでそっとしておきたいと考える僧侶が多いことは理解できる。
 この問題は、仏教寺院の問題だけではない。日本社会の縮図とも言うべき問題であるように思う。傍観者的批判が許されない問題である。

現代葬儀考48号 碑文谷創

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