現代葬儀考

イニシエーションとしての葬儀

 

 20世紀の初め、アルノルト・ファン・ヘネップは『通過儀礼』を著し、「あるグループから他のグループへ移るには、われわれの社会における特定の儀礼──洗礼、叙品式など──にみられるのと同様な通過の際の特別な様相を呈する」と看破した。
 彼は、人生の「区切りの一つ一つについて儀式が存在するが、その目的とするところは同じである。つまり、個人をある特定のステータスから別の、やはり特定のステータスへと通過させることに目的がある。目的が同じであるため、その達成手段は、細部に至るまで同じというわけではないにしても、少なくとも類似するようになるのである」と分析し、「出生、幼年期、社会的成熟期、婚約、結婚、妊娠、出産、父親になること、宗教集団への加入礼および葬儀などの儀式が一般的に似ているのはこうした事情による」とし、「これらの儀式はすべて皆同一のカテゴリーに組み入れるのが合理的」として儀礼研究に体系を与えた。

 そして彼は、「通過儀礼はさらに分離儀礼、過渡儀礼、および統合儀礼に分析される」とした。
 あまりに有名になった儀礼の分類であるが、彼は葬式についても一章を設けて詳しく通過儀礼の要素をもつことを分析している。その冒頭で次のように述べる。

「とむらいの儀式についてまず考えられるのは、主流をなしているのは分離儀礼であって、これに対し過渡および統合の儀礼はあまり発達していないのではないか、という事である。ところが実例にあたってみるとそうではなくて、分離儀礼は数も少なく単純で、かえって過渡期の儀礼の方が持続期間も長く、複雑化しており、それだけを独立したものと認めてもよい位のものもある。さらにまた、葬いの儀礼の中で最も複雑化しかつまた重要視されるのは、死者を死者の世界に統合させる儀礼である」

 これは極めて示唆に富んでいる。統合儀礼、つまり死者の世界へ加入させるための儀礼が重要な構成要素となっていると見ているのである。
 私は葬儀を通過儀礼の一類型であることを否定するものではないが、その一つにファン・ヘネップが分類する加入礼として葬儀を見ると、よりよく明らかになるのではないか、というアイディアをもっている。

 ここで「加入礼」というのはイニシエーションの訳である。
 ちなみにイニシエーションとは、
「 1開始、創始、創業、 2a加入、入会、入門、b入会(門)式、 3a手ほどき、手引き、b秘伝を伝えること、伝授」(研究社『新英和中辞典』)
 と説明されている語であるが、文化人類学的には訳す場合には「加入礼」とされるのが一般的である。成人式のように、古代社会において、古い子どもの世界から新たに成人した世界に加入するに際して、苦行や儀礼を通じて新たな世界に導かれることを言う。説明的に訳すとするならば「秘伝を伝授することにより新しい集団に導いて加入させるための儀礼」とでもなるだろうか。

 私は、このところ、戒名について考えてきた。今一つ、なぜ戒名が葬式において重要なのか、人々が関心をもつのか、自分で納得できなかった。そんなときエリアーデの『生と再生─イニシエーションの宗教的意義』に出会った。葬式について論じたものではないが、読んでいて、興奮してきた。エリアーデは前近代社会のこととして論じているのだが、それは死滅した宗教世界のことではなく、死と葬儀においては根本のところで息づいているのではないかという想いを強くしたからだ。

 河合隼雄も『生と死の接点』で「近代人は…社会的な儀式としてのイニシエーションは棄て去ったが、その無意識内には、イニシエーションの元型的なパターンが存在し、われわれに今なお作用を与えている」と述べる。だが、儀礼そのものに仮託する心理も消え去っているわけではないように思う。
 特に、日本の仏教葬儀とその中心を占める授戒を解釈する際に、イニシエーションと考えると、見えてくるものがあるように思われる。
 予めお断りしておくが、これは思いつきである。まだ考えが詰められていないが、以下、このアイディアを説明してみることにする。

 葬儀は、古い世界である生前の人間が死に、新しく死後の世界に入るためには必要なイニシエーションとして考えられていたのではないか。古い人間である身体としての人間が死に、新しく霊としての人間が生きるための加入礼の秘儀がまさに葬儀であったのではないか。

 死者が出る。あくまで2人称の死として起こった場合である。遺族は葬儀を行うことに拘る。このわれわれがよく知っている拘りはどうして生ずるのであろうか。この点が私が拘るところである。
 ここには「弔う気持ちは人間の自然の感情」と説明される以上の拘りがあるように思われる。その葬儀をすることへの遺族の拘りは多くの場合、今でも実に切実である。これは何故なのだろうか。

 葬儀をしないと、死者は行き場所を失うからではないのか。
 日本の民俗的観念では、弔われず、行き場所を失った死霊は、しばしば生者に対して害をもたらすと信じられてきた。死者が行き場所を失うことは、遺された者としても死者との関係づけができないまま留め置かれることになり、これが遺族に大いなる不安をもたらすのだろう。したがって死者を死後の世界に加入させることは遺族に課せられた大いなる義務としてあるのではないだろうか。
 葬儀において、分離儀礼、つまり死者を古い生前の世界と分離させることは重要であるが、分離は既に死によって発生したのであるから、より重要になるのは死者を新しい世界に移行させることにある。分離は加入のために残存しているものをせいぜい切り離すためのものでしかない。あるいは、加入のための条件を整えるためのものであろう。

 死者を新しい世界である死後の世界に入らせるためのイニシエーションは、日本の民衆にとっては、長く日本社会にコンセンサスを作ってきた仏教葬儀を通して行われると理解されてきたのだと思う。その理解は現在でも必ずしもなくなったわけではない。
 だから、この場合、死者や遺族が仏教徒であるかどうかはあまり問題とされない。仏教葬儀が死者を死後の世界に加入させるための儀礼として日本人の中に理解されてきたという事実が重要なのであり、これが現在でもなお九割を超す仏教葬儀ということで現実化しているのであろう。

 もちろんこの歴史的背景としては、仏教の民衆化が葬祭を中心になされたことや、江戸時代の寺檀制度の法制化がある。この結果、重要なのは、日本の民衆にとって、仏教徒だから仏教儀礼によるイニシエーションが選択されたのではなく、死後の世界に入るために仏教葬儀があると理解されたことである。そうでなければ、明治維新により寺檀制度が法制的位置づけを失って130年を経てもなお、また真正の仏教徒が3割以下になっても、依然として仏教葬儀が九割という事態を説明しきれない。

 日本の仏教葬儀の内部に少し立ち入って見てみることにしよう。
 死後の世界に橋渡しする存在が導師である。導師とは民衆に法施をなし、仏法に導く僧侶という意味ではない。葬儀においては、まさに死後の世界に導く者であり、この役目においては、超自然的なものの化身、代行者であると理解されているように思う。
 ある僧侶が地域共同体の葬儀の時代にあって、僧侶は地域共同体の一員として葬儀の儀礼執行を分業した、と語っていた。だが、分業以上のものであると思う。その僧侶の人間性を別として、葬儀の導師を努めることによって、聖化された存在と見なされたのであると思う。
 創価学会が、僧侶抜きの葬儀を提案したとき、これに対する強いアレルギーが出たのは、僧侶が収益源を失うことへの僧侶からの反発もあったろうが、導師を欠くことにより、あの世への移行が不確実なものになることに対する民衆側の不安があったのではないだろうか。

 仏教葬儀の儀礼で最初にくるのは枕経である。枕経とは、新しい世界に移行させるための死者に対する修練であり、秘伝を伝えることであると理解されたのではないか。歴史的にも中世の浄土教では死にゆく者への臨終経としてあったものである。枕経は、まさに死者に対するものとして存在した。
 仏教葬儀の中心をなす儀礼は、浄土真宗を除き、授戒である。これは意味あることであると思う。授戒は死後の世界に入りしむるための秘儀として位置づけられたのだと思う。
 ちょうど古代の男子の成人儀礼で割礼を施すように、授戒儀礼では、死者を剃髪し、過去を殺し、新しい世界の世界観たる戒を授ける。授戒は、死者を新しい死後の世界に移行させる決定的瞬間なのである。それ故に授戒が中心をなしたのではないか。

 日本の仏教葬儀が俗人が出家して僧侶となるための加入礼を模したことは偶然ではない。死後の世界へはイニシエーションが必要なために援用されたのだと思う。
 授戒し、死者が戒名を授かることは、死者が霊的存在として再生したことを示しているのである。
 戒名の有無は、死者が死後の世界に無事位置づいたことを示す証明であり、遺族にとっては死者と新しい関係づけをすることが可能となったことを証明するものなのである。
 戒名を得ることの意味が、民衆にとってこのように理解されたからこそ、民衆は死者のために戒名を得ることへ殊更に拘ったのだと考えると理解しやすいように思う。

 そして導師による引導とは、まさに、死後の世界に死者が入ったことの宣言としてあった。曹洞宗では一挙に仏世界に導くとして「喝(かーっ)」などと大声するが、その場にいる者たちには、深い印象と安心を与えるものである。
 藤井正雄が、日本における葬儀式の展開は、真宗と日蓮宗を除き「没後作僧すなわち死者を仏弟子にする授戒式と、その新仏弟子を浄土に引導するという二重構造になっている」(『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』)と述べているが、このことは日本の仏教葬儀がイニシエーションをその本質としていることを示しているように思う。

 しかし、引導の後にも、日蓮宗などでは、死者は死後しばらくの間は修行するという考えがある。これは何故だろうか。
 イニシエーションにとって、新しい世界に入るには、本来から言えば、修行が必要であるという観念がある。だが、死者にはその充分な時間がなかった。そのため死者には死後も修行が課せられたと考えるのが合理的であるように思う。これが四十九日である。
 この死者の修行は死者が単独で行うのではない。遺族も死者と共に修行に参加することになる。これが四十九日間を遺族が籠もることの意味であり、喪に服することの意味である。

 遺族はかつて、素服という死者の衣と等しい服で身を包んだ。まさに死者と共に修行に参加することを義務づけられたのである。
 この服喪は、死は死者に単独で生じるものではなく、死者と遺族の間に起こる共同的なものであることを示しているように思われる。
 ファン・ヘネップも「服喪中は遺族と死者とは共に一つの特別な集団を構成しており、生者の世界と死者の世界との中間におかれている」と語る。
 と同時に、服喪は遺族の悲嘆を位置づけるものであった。服喪をシステム化することにより、遺族が家族の死によって生じる精神的な衝撃、悲嘆が生じることを自然なこととして認容したのであると思う。

 遺族に対して、システムとして服喪を課すことは外からの強制ではあるが、それを遺族自身が主体的になすことによって遺族自身のグリーフワークとなっていく。遺族は服喪という死者との共同作業を行うことを自らに課すことによって、死者のために供養し、それを死者に振り向けて回向するという名分の下に、グリーフワークをなしたのである。

 服喪の習慣が仏教世界だけでなく、各地に見られるのは、死の共同性が文化を超えて人間にとって本質的なものであることを示し、死別した者の悲嘆が人間にとって極めて自然なことであることが受け入れられていたことを示しているように思われる。
 修行を終えた死者は、最終的な秘儀である中陰儀礼(四十九日法要)を経ることによって、新しい世界である死後の世界に一人前として認められることになる。これは仏教的には「成仏した」「浄土に往生した」などと表現される。
 ここで「忌み」も新しい意味をもつことになる。四十九日は「忌中」と名づけられ、「忌みの中にある」ことを示すものである。忌みとは、一般に理解されているような、死穢を避けるということだけではない。古い世界を殺すことを意味したのではないか。例えば、今でも関西地方を中心に残る民俗である出棺時の死者の使用した茶碗を割る行為である。これは古い世界である生前の残存物を抹殺し、死者を古い世界に戻りようのない者とすることによって、新しい世界である死後の世界で生かすための象徴行為であったのではないだろうか。

 確かに死に対する恐怖心や嫌悪感は現実にあった。また愛する存在としてあった死者を遺された生者が断念するという意味もあったであろう。こうした心性を合理化するものとしてもあったろう。
 ファン・ヘネップによるなら分離儀礼であるが、忌みは、死後の世界での再生を願って行う、死者の古い世界の抹殺行為という積極的な意味を付与されたのだと思う。
 服喪することを「忌み籠もる」と言うが、これは遺族が死穢に染まっているから遠慮して籠もるという消極的な行為以上に、死者が新しく死後の世界に再生するための(同時に遺族がグリーフワークをなすことにより悲嘆を表出し、死者亡き後の世界に生きるための)積極的な行為として理解されたのだろう。

 死者が、こうしたイニシエーションを経て、つまり死と再生を経て、死後の世界に仲間入りし、加入した存在の名称が「カミ(神)」「ショウリョウ(精霊)」「ホトケ(仏)」である。また、家族にとっては「祖先」であり、「祖霊」である。
 イニシエーションにより死と再生を経たゆえに、祖先は力をもつものと見なされ、現世に生きる者である子孫を超越的に見守り、助ける存在として理解されたのではないだろうか。
 まさにファン・ヘネップの言うところの「統合」の完成である。イニシエーションが完成することにより、死者は死後の世界に位置づき、死者のパワーが生者に統合することによって、生者もまた回復し、死別の精神的混迷から抜け出し、新しい死後のステージに移ることが可能となるのである。

 エリアーデによるならば、イニシエーションの「目的は、加入させる人間の宗教的・社会的地位を決定的に変更すること」であり「哲学的に言うなら、イニシエーションは実存条件の根本的変革」に等しい。「ほとんどふるえ上がるほどの恐ろしい厳粛さ」を示す儀礼である。
 多くの加入礼が、死を内包するという事実は、人間存在を揺るがし、人間関係に裂け目をもたらす二人称の死という事態こそがイニシエーションを必要としたことを根拠づけるのではないだろうか。

 イニシエーションとして葬儀を行うのは、死が、単に人が存在を失うというマイナスの出来事としてのみ理解されたのではないからだ。あるいは、そう理解したくないという想いがイニシエーションを生んだのであろう。
 しばしば、死ぬことは、本源である世界に還ること、往還することであると理解された。これは自然の循環と豊穣を積極的に理解したいという心性から出たものではないだろうか。

 仏教の教理を別として、民衆が仏教葬儀を以上のようにイニシエーションとして理解したことは、ほぼ間違いのないことではないだろうか。そして各宗派の葬儀に対する理解も、死に際してイニシエーションが必要であるという民衆の感覚と無縁ではなかったと思われる。これが枕経、授戒、引導などの葬儀における位置づけとなって表現されたのではないだろうか。

 改めて確認しておきたいことは、死が「危機」であると理解されたから、民衆は家族の死に際してイニシエーションを必要としたのである。死者の再生であり、同時に遺族は死者と共に小さな死を体験することにより、危機に陥った自らの再生をなすためのものであった。
 死の危機に直面したとき、近代人といえども古代的心性、つまりは原初的な心性が奥底から湧き上がってくるのでないか。これは人間の本源からくるエネルギーなのかもしれない。人間の歴史は、こうして死と再生を繰り返してきたのだろう。
 近代人は、世俗化され、聖なる世界から引きずり出された存在である。それゆえに、儀礼という宗教的世界の中で再生することを簡単には実感できなくなっている。これは不幸である。だが、死という危機に直面して、水面下で、こうした葬儀というイニシエーションを必要とする想いがフツフツとしているのではないだろうか。
 そうとでも理解しないと、崩れかけているとはいえ、民衆にとって葬儀というものがもつ意味が正確に理解できないような気がするのだ。

 現在、戒名問題や仏教葬儀などへの不信が出ている。これにはさまざまな原因や理由がある。この背景については、これまでも述べてきたので繰り返すことはしない。
 世俗化や近代化を余儀なくされ、これからは、確かに葬儀は多様化していくことであろう。今や葬儀をどう行うか、についてのコンセンサスが薄れてきただけでなく、なぜ行うのかについてもコンセンサスをなくしているように思う。
 だが、家族の死に直面した人の想いが、根本的なところで変わってしまっているとは考えにくい。死は個別化されつつあるとはいえ、依然として危機であり、危機をもたらすという基本的な部分を変えていないからだ。
 人間の死と再生の物語を過去のこととしてだけ共有し、現在のこととしては共有できなくなったわれわれ。物語に郷愁を覚えつつも、その中に入っていけなくなったわれわれ。多様化とはそれぞれが、それぞれの仕方で共有されることのない物語を編むしかないところに追いやられた事実を語っているのかもしれない。

現代葬儀考49号 碑文谷創

広告
現代葬儀考に戻る