葬祭業とは何か?

4.「葬祭業」への僧侶からの不満の声

 もしかしたら葬祭業者の一部には不本意な意見かもしれない。また、全ての僧侶の意見でもない。しかし、僧侶の一部には事実ある葬祭業者への不満を以下紹介する。

 僧侶が葬祭業について言うときは「葬儀屋」であることが多い。
「最近の葬儀屋は葬儀の日程を決めてからこっちに電話をしてくる」
 と使う。
「何でも自分たちの都合で決めて、こっちが『都合が悪い』と言うものなら、『いいです。こちらでどなたか紹介しますから』と言うんだぜ。失礼ったらありゃしない」
「通夜で葬儀会館に行って控室に案内しようとするから、『まず祭壇を見せてくれ』とホールに行ったらご本尊がないじゃないか。だから『えつ?ご本尊もないところで葬儀をさせようとしているのか』と怒ってやった。最近の葬儀屋は何も知らない」(もちろん、本尊の用意を葬祭業者に託するというのは正当ではない、ということを承知で紹介する)

「最近は葬儀社がサービスとか言って、遺族に何もさせようとしない。葬儀会館に行ってもお茶をもってくるのも葬儀屋。お布施をもってくるのも葬儀屋。最後に『ありがとうございました』と見送るのも葬儀屋だ。檀家なのに遺族は顔も出そうとしない」(それなら僧侶がまず遺族の席に顔を出すべきだろうという反論はあっていい。)
「布施も最近は少なくなったね。きっと葬儀屋が途中でピンハネしてるんじゃないかと疑ってしまう。葬儀屋にそれとなく言うと『最近、どちらさまも不況ですから』と答えるのだが、祭壇料で150万円もとっておいて布施が40万円きりだ。昔は『ご膳料』『お車料』とか言ってあれこれ包んできたものだが、いまは何もない。導師も軽く見られたものだ」

「いや先日のお斎ではビックリしたね。部屋の中央に遺族が座っているもんだから、葬儀屋に『オレはどこへ座ればいいんだ』と訊いたら、『和尚さんはどこでも空いている席にお座りください』と言うのだ。何でも『ご遺族様の意向です』で済ませてしまう。最近の消費者は『サービスされて当然。こっちがお金出しているのだから』と非常識だ。それを誰も咎めようとしない。昔だったら長老というのがいて『遺族は下、和尚が真ん中』と仕切っていたものだが、長老もいなければ、葬儀屋も言わない。若い葬儀屋は常識、習慣というものがわかっていない」

「最近葬儀屋も偉くなって『1級葬祭ディレクター』とかいうのを胸につけて、威張って指示している。昔は半纏着て、お客の前には出ない、奥ゆかしさがあったが。いまは何でも仕切っている。『ご住職、ご出棺は11時ですよ』と念を押してくる。また『ご住職、私がキューを出しますから、その時歩き出してください。喪主様がご高齢なので、ゆっくりと歩いてください』とオーケストラの指揮者みたいだ」
「葬儀屋の奴、いくら『真宗では塩を使わない』と言って聞かせてもだめ。『ご遺族がご希望なさるので』と言うんだ。『もしダメなら直接ご遺族に言ってください』と言いやがる。遺族にこちらが言うと角が立つと思って言っているのに言うことをきかない」

「葬儀屋に『言うこときかないなら出入り禁止だ』と言い渡したら、檀家総代の葬式だよ、これを隣町の寺の住職にもっていったんだよ。その僧侶に言ったら、『葬儀屋が電話をかけてきて、住職は葬儀をなさらないって言って困ってるんです。代わりにお願いします、と言われたんで、家族も同意しているって言うんで、葬式は待ってくれないので引き受けた』と言うのだ。檀家総代の葬式をもっていかれた、と大恥かいた」

「葬儀屋から『名古屋で○○宗のいいお寺さんをご紹介願いますか』と言うので弟子筋の寺を紹介した。弟子筋からは後日『ご紹介いただきありがとうございました。きちんとお勤めさせていただきました』とお礼が届いたのだが、葬儀屋からは何の挨拶もない。もうける話にだけは熱心だが、常識というか、お礼も知らない」
 これはあくまで一部の話である。僧侶全てを代表するわけではない。しかし、こういう意見もあるのだということは知っていていいだろう。

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