葬祭業とは何か?

5 キーワードで考える日本の葬祭業

■北米の葬儀社のキーワード

 日本の「葬祭業」というのは必ずしも自明ではない。
一応、遺体を病院から引き取り、搬送し、安置し、納棺をし、通夜・葬儀を設営・運営し、出棺し、火葬場へ送迎し、といった死後数日間にわたる葬儀を運営・工程管理する業とでも言おうか。
北米であれば、「モーチュアリ(葬儀社)」は、以下のようなキーワードで論ずることができるだろう(NFDA=全米フューネラルディレクターズ協会の報道等に基づく)。

①「葬祭業経営」
②「フューネラルホーム(<葬儀会館)」
③「キャスケット(棺)」
④「お別れ」
⑤「エンバーミング」
⑥「グリーフケア」
⑦「霊柩車」
⑧「プレニード(生前契約)」
⑨「火葬(埋葬)」
⑩「フューネラルディレクター」
⑪「フューネラルロー(葬儀に関する消費者保護を目的とした法的規制)
以上のキーワードで語ると、全体像が浮かび上がり、モデルのようなものができる感じがする。このキーワードに近い感じで日本の葬祭業を以下、見ていくことにする。

■いまや多様な経営形態

 日本で言えば、①の「葬祭業経営」という問題は、専門事業者あり、互助会あり、JAあり、生協あり、と基本とする形態の差があり、それぞれ課題とすることが少しずつ異なっている。
全葬連が所属の中小専門事業者に対して「葬祭事業の経営」という問題を取り上げ、研修を開始して約10年で、ようやくその緒についた段階にあると言えよう。

 一時「家内経営から脱皮して近代経営」へ、というスローガンが唱えられた。しかし、さまざまな資本形態による新規参入が多くなり、共通する課題が見えにくくなってきたように思われる。
 葬祭業にも資本と経営が分離した企業が現れている。それに加えて市民団体を装うNPO法人格の葬祭業者も現れている。あるいは葬祭業者がNPO法人格をとって、あたかも市民団体のような顔をして事業展開する事例も見られる。もちろん、健全な市民団体であるNPOもある。
北米でも見られるように日本でも企業合併・吸収が行われている。上場企業は少ないものの、多彩な顔ぶれとなっている。

 おそらくこれからは、よきにしろ悪しきにせよ、葬祭業は「特殊」な事業分野ではなくなっていくことであろう。
 07年日本消費者協会調査でおもしろい結果が出た。
 シェアとしては互助会が47%、JAが13%を支配しているはずなのに、消費者の回答では62%が「葬儀社」に依頼したことになっている。互助会やJAに依頼した割合は実勢を大きく下回っていた。
 これは消費者にとって事業者の経営形態はあまり意味をもっていないということである。

■斎場の動向

 ②「フューネラルホーム」に関しては、日本では50年代までは7~8割が自宅葬が占めていた。最初の斎場は60年代であるが、それは例外的な存在でしかなかった。
斎場が大きく動いたのは80年代である。90年代に大爆発し、全国各地に「斎場戦争」を引き起こした。
日本の斎場は北米に比べると「フューネラルホール」とでも言うべき式場を中心とした施設であった。
2000年前後から「フューネラルホーム」に近い、遺族空間を大切にした小型斎場が登場し、「自宅代わり」というコンセプトが出てきて、極端に言うならば、斎場エリアが周辺2キロメートルから1キロメートルに縮小する展開となっている。

 斎場(葬儀会館)葬が定着し、葬祭事業者名よりも施設名が取沙汰されるようになっている。
 骨葬(葬儀を火葬後に行う方式)が多いため、式場としての需要が多くないと見られ建設が遅れた東北地方も、2000年以降建設ラッシュとなっている。福岡市、北九州市、札幌市の激しい斎場戦争が有名であるが、東北の福島県でも人口比にすると斎場の供給過多による激しい斎場戦争が繰り広げられている。

 斎場の優劣は当初は式場の収容人数の多さで競われた時期もあるが、いま注目されているのは遺族が死別後間もない葬儀期間を落ち着いて過ごせる空間であるかという評価軸が出てきたことである。
「大は小を兼ねる」と考えられていたが、それこそ「大」はロビーや他のフロア等を使ってしのげるが、けっして「小」を兼ねないということである。
 これまでは「施設があるかどうか」が問われたが「どのような施設であるか」ということと「そこでどのようなサービスが提供されるか(あるいは遺族の感情を邪魔しないか)」が問われようとしている。

■変わる祭壇

 ③の北米の「キャスケット」に代わる位置づけをもっているのが日本では「祭壇」である。
葬儀費用においても北米ではキャスケットの費用が占める割合が高かった(現在は火葬の増加で事情変化もある)。
日本では葬儀施行費用が「祭壇料」と言われるほど、祭壇が大きな位置を占めてきた。
戦後の高度経済成長期以降、「大きな、立派な祭壇」が志向されたが、いまや消費者の祭壇に対する価値観が大きく変動している。
 
 祭壇の大小が基準ではなくなり、全盛を誇った白木祭壇も生花祭壇に取って代わられる勢いである。その生花祭壇も花の量の多さが競われる時代は終わろうとしている。
「花は白」という前提も崩れ、色花が普通に用いられ、イメージも「温かさ」が表現されるものへと変わってきている。ここでも大きさからデザイン的質が求められるようになってきている。まだまだ生花祭壇に対する常識が覆る余地があるように思われる。逆説的だが「葬儀の花」から脱することが、これからの葬儀の花であるように思われる。

「生花祭壇」ではなく「柩を囲む生花」という概念も登場、さらにはアートフラワー(造花)も登場し、これからは個性化の流れでさまざまな展開が行われようとしている。
 造花の世界も大きく変わりつつある。かつての「贋物」「まがい物」「安っぽさ」から新しい表現の時代に変化しつつある。「造花は生花に勝てない」という常識は崩れようとしている。問題は消費者にも材料の明示をすることである。

 北米において、埋葬(土葬)から火葬へという大きな流れの中で、「立派な棺」から「火葬までの棺」と位置を低めているように、日本でも祭壇のもつ位置は低下してきている。もはや葬儀施行費用を「祭壇料」と表現することは困難で「基本葬儀料」という表現に置き換える必要に迫られている。
「基本葬儀料」と名前を換える利点はさらにある。これまでは「物」を売っていた形であったが、これからは「サービスの質」が問われることになる。

 これからは「祭壇」というモノの値段がどうかではなく、モノの品質・デザイン、サービスの質、遺族のグリーフの感情をどう配慮しているか、さらに「人材」が問われるようになるだろう。
今までは「モノ」でごまかせたが、これからはごまかせるものがなくなり、本物勝負の時代になるのではなかろうか。

■お別れ、儀式

 葬儀が「死者をあの世に送る」という宗教性の高いものから、「死者と別れる」という性格が強いものになってきている。
 これは生活者が葬儀に求める機能が変化してきていることを表す。
 95年頃に登場した「家族葬」は、葬儀のもつ社会儀礼色、言うなれば地域や社会への死者の告知、地域社会からの顕彰、後継者への引継ぎ、という社会的プレゼンテーションの否定と近親者によるお別れの重視への転換を現す象徴的な形態である。

 葬儀の死者を彼岸へ送る宗教的機能が低下しているのは日本だけではない。北米、日本に共通する傾向である。
北米において自分が通う教会の牧師(司祭)による葬儀からフューネラルホームと契約するチャプレン(教会に属さないで、学校、軍隊、病院等で働く宗教者のこと)による葬儀が増えている。これは「世俗化」と言われる現象である。日本でも似た現象が進行している。
地方ではまだ檀家制度が強いものの、葬儀において相対的に宗教者の地位は低下している。葬儀の場所において斎場が主流となることで、自然に葬祭業者の発言権が高まり、僧侶からは「寺院軽視」の不満が、葬祭業者からは「本来すべき寺院のケアがなされないからやっている」と宗教者の非力さへの批判となって現れている。

■大都市の宗教的浮動層

 都市のもつ問題はさらに深刻である。首都圏では非檀家(檀家となっている寺をもたない人)の割合が5割近くいて、その人たちの葬儀は、「遺族が自分の檀那寺へ依頼する」ものではなく、「葬祭業者に寺院の斡旋を依頼する」ものになる。北米のチャプレンみたいな存在である。

 こうした事情を背景に僧侶派遣プロダクションが現れ、葬祭業者への僧侶からの紹介料、リベート等が生まれている。
 寺院経済を考えると、葬儀や法事での檀家からの布施は、寺院経営の大部分を担ってきた。したがって檀家の数が多く生活層が豊かな寺院は潤い、檀家の数が少なく生活層も貧しい寺院は困窮し、自立できない。

 地方では過疎化による檀家数減少傾向が続いている。おそらく経済的に自活できている寺院は3割程度で、多くの寺院は僧侶が複数寺院の兼務や学校教師等との兼職によって支えている。
 興味深いことに、僧侶派遣プロダクションには地方で自活できない寺院の僧侶が「出稼ぎ」している例が少なくないことである。

 僧侶派遣プロダクションの存在を私は「宗教の収奪」と批判した。それに対して「檀那寺の僧侶よりも派遣僧の人格が立派なことがある」と在京の葬祭業者から指摘を受けたことがある。たくさんの檀家を抱えた寺院に生まれたことで、宗教的にではなく、経済的に裕福に育った世襲の僧侶より、地方で経済的に恵まれず、寺院を維持するためにやむなく出稼ぎしている僧侶のほうの資質が上、ということは大いにありうることである。
 しかし、そのようなプロダクションによって収奪されているのは遺族および派遣僧である。収奪しているのはそうしたプロダクションの経営者であり、それによって経済的利益を得ている者である。

■葬式の変化―「葬儀・告別式」の死語化

 葬儀というのは、かつては民俗的宗教的な儀礼としてあった。僧侶も地域の僧侶として檀家の葬儀に係わった。だが戦後の高度経済成長以降は、社会儀礼色を強め、その結果、葬儀式よりも告別式主体に変わった。

あえて典型化して述べるならば、元来は、
(1)通夜は、閉じられた故人と親しい関係者によって営まれる、死を受け止め、死者と惜別するためのもので、
(2)葬儀は死の事実を厳粛に受け止め、死者を彼岸に送り出す宗教的儀礼であり、
(3)告別式は故人の社会関係を表し、それに連なる人々に死を告知し、それらの人々によって弔われる、どちらかと言えば社会的儀礼色の強いものであった。
しかし近年見られることは、会葬者が告別式にではなく、本来は近親者による親和的な世界である通夜に押し寄せ、その結果、実態が「通夜・告別式」化していることである。
その結果、通夜の翌日(一般に、であり、地方により異なることがあるが)に行われる葬儀・告別式においては葬儀の参列者と告別式への会葬者がほとんど等しいものとなり、告別式機能が事実上なくなろうとしている。
しかも社会儀礼色のある葬儀を嫌って行われる家族葬の普及により葬儀全体が閉鎖的なものとなってきている。

■垢抜けした「セレモニー」

 90年代以降、葬儀がもっていた生々しさ、土俗的要素が減少してきたように感じるのは筆者だけではないだろう。地域共同体が主体となり、それゆえ色濃く地域習俗と宗教性が覆っていた、だからあまり垢抜けない儀礼であった葬儀が変わってきたのである。
それは戦後文化の浸透と無縁でないが、一つの大きな要素は葬祭業者の手に葬儀の主導権が移ったことではないだろうか。

 葬祭業者が葬儀を「売れるセレモニー」として、つまり「商品」として消費者に提供しようとしたことが大きく影響したのではなかろうか。
 儀礼、特に死の儀礼が民衆に担われていた時には、時として猥雑な要素を抱え込まざるを得ない。だがそれが商品化する過程では猥雑なものが捨てられ、「タブー」は「マナー」に名前を変え、「慣習」は「マニュアル」と化し、そして民衆が「参加」するものから「観る」ものへと変化していった。
 死に対するリアルな怖れの感覚が会葬礼状の中に小ぎれいに包まれた「清め塩」によって簡単に拭われるものとなったのがその象徴ではなかろうか。
 
 儀礼が演出されるものとなることにより、民衆の心の奥底で感応しあっていた宗教儀礼が表層に現れ、「理解できない、無意味なもの」と取り扱われ、定められた筋書きの一部を構成する一こまになっていった。宗教儀礼が力を失ったのは、それに反応する遺族、会葬者が少なくなったことにもよる。
 死というものはリアルな叫びのようなものがあり、宗教儀礼はそれに呼応しているものがあったように思う。「スマートな儀礼」は人と人の関係性も、本来もっていた人間的部分も、深く感応する宗教性も奪ったのではないか。

■直葬の行方

 直葬(ちょくそう。葬儀の儀礼を行わず火葬のみを施すもの)において「炉前(ろまえ)の読経」が求められることが多いことから、そこに宗教心の残滓を懸命に求めようとする宗教家や宗教学者がいる。だが、あまり意味のあることではないように思う。

 直葬を「火葬(荼毘)式」とかよんでいかにも儀礼っぽく言う葬祭業者がいる。しかし、戦災で焼死した人の前での読経や震災で火葬しか許されなかった人の火葬前の読経と現在の「炉前の読経」の多くが同じ意味をもつのではないように思う。それはきれいごとであるように思う。
 言うなれば直葬の現場には(全てがとは言わない。その多くが)「必死さ」がないのだ。むしろ言い訳として「炉前の読経」があるのだ。そう考えたほうが自然に思われる。

■エンバーミング

 米国では南北戦争(1861~1865)の戦死者の遺体を故郷に送還するために防腐処置としてエンバーミングが多数行われるようになり普及した。
 当初は規制がなかったが、技術水準等がバラバラ等で紛争が絶えなかったので、これを規制するためにエンバーマー、フューネラルディレクター(両方の資格をもつ人が多い)の資格設定が行われるようになった。

 エンバーミングは、北米では一時95%の遺体に施されていたが、近年は北米でも火葬率が高まっていることから多少減少している。しかし、いまでも8割以上の遺体にエンバーミングが施されていると推定される。
 欧州でもエンバーミングは普及しているが、エンバーマーの資格認定においては北米が厳しい。
 北米においては、死者は葬儀社の手でフューネラルホーム内の処置室に運ばれ、エンバーミングしている間(日本のように3~4時間とかではなく1~3日預かる)に、担当のフューネラルディレクターと遺族はどのような葬儀を行うかを充分に話し合って葬儀の内容や段取りを打ち合わせる。

 北米の葬儀の特徴は、一方でエンバーミングであるが、この間に行われる綿密な遺族との打ち合わせにあると言えよう。それを防腐処置が可能にしている。
 エンバーミングの中で防腐処置は中心的な要素であるが、目的はそれだけではない。まず遺体全身を洗浄・消毒し、死者の顔を整え、血管をとおして防腐剤と体内の血液を交換し、胃や腸内部のものを吸引し、防腐剤を入れ、さらに必要な修復処置を施す。この修復はレストラーティブ・アートで直訳するならば復旧のためのアートであり、生前の元気な状態に高い技術をもって復することである。そして家族の望む衣装への着替えを行い、化粧をし、納棺する。

 エンバーミングでお別れする人々に後悔や悪い印象を与えないで、きれいな顔で対面することを可能としている。
 日本で葬儀が慌しく行われるのは、遺体の腐敗が進行し、死者の尊厳が崩落する前に葬儀をしてしまおう、と考えるからである。
 それが死者との充分な別れの時間を遺族や関係者がもつべき時間を奪っているとも言える。

 もちろんヨーロッパ等でエンバーミングが「死者の美化」であり「死のリアルな現実から目を逸らす」働きがある、という批判がされることも知っている。しかし、エンバーミングしたほうがいい遺体、遺族もいることは確かなことである。「エンバーミングしない自由」も「エンバーミングされる自由」ももっていていい。しかし、いまの日本ではほとんどの遺族は「エンバーミングを選択する自由」がない。これは問題だろう。

■習俗としての湯灌、納棺

 日本の遺体処置と言えば、かつては地域共同体の人間(同じ組内の人、僧侶、遺族、とか地域によって異なっていたが)によって納棺前に湯灌を施したことである。
 これは遺体を洗い清めることで死者の浄化を行うという宗教的意味合いに加えて、実際的には死後硬直が進んだ中で、服を仏衣にあらためさせ、納棺(かつては座棺であった)するという、ある意味では力づくの作業であった。

 遺体がいろいろな状態にあるのは葬祭従事者がよく知ることである。きれいな遺体がある反面、何らかの処置を施す必要のある遺体がある。現在でも15%程度はそうした遺体があるのだから、当時も同じくらいあったと想定される。体液・血液に塗れての作業も少なくなかった。
 湯灌や納棺の作業は、かつてを懐かしみ、美談として語られるだけのものではなかったことは確かなことである。

■病院での「死後の処置」

 戦後、死亡の場所が自宅から病院へと替わっていく中で、遺体処置は主として病院の仕事になった。
 病院では、かつては、危篤時に、家族を病室の外に出し、医師が患者の上に乗り心臓マッサージを施し、それでも心臓が再開しないことを確認する、という死亡がやむをえないものであることを家族に示す、儀礼行動もしばしば取られた。これにより患者のあばら骨が折れるということも珍しくなかった。
医師による死亡判定後に、看護師等の医療関係者の手で、着衣を脱がせ、傷口を包帯等で覆い、胃の内部にあるものを吐き出させ、体液の漏出を防ぐために身体の穴という穴を脱脂綿で塞ぎ、身体を清拭し、新しい浴衣に着替えさせ、髭剃り、化粧等を施す、といった「死後の処置」が行われた。

 病院死の場合には病院で死後の処置をしてくれる。では自宅死の場合にはどうか。しばらくは地域共同体での湯灌も行われていたが、次第にその仕事は葬祭業者の手に委ねられるようになった。
 葬祭業者が行う場合、古来の湯灌ではなく、病院の死後の処置に納棺をプラスした作業であることが多い。
 現在では、「死後の処置」を「エンゼルケア」と言い、死後の処置に遺族を参加させ、それが遺族のグリーフのケアに意味あること、と死後の処置のあり方を見直す動きもある。
 その反面、「死後の処置」は「死後」であるから健康保険の対象にならず、遺族への請求もままならないことから、この作業を安価に(あるいは無料で)葬祭業者に下請けさせる病院もある。

■外注化される遺体処置と公衆衛生

 80年代後半から遺体処置を請け負う専門業者が出現した。高齢者在宅入浴介助サービスから転じた新しい湯灌サービス。あるいは死装束、死化粧を施す納棺サービスである。88年からはエンバーミングも導入された。
 同じ「湯灌」という名称を用いても、現在の「湯灌」は、かつての習俗としての湯灌とは別物である。

 遺体処置が専門業化することにより処置技術は大幅に向上した。だが、問題は公衆衛生への配慮であろう。エンバーミングで使用するような薬品も入ってきているが、遺体処置に携わる者が正しい教育を受けないまま、自己流で処置することで、労働衛生上、公衆衛生上の危険を抱えるケースがある。
 北米ではエンバーミングと葬祭業が分離せず、そして専門教育と資格制度ということでクリアしてきたが、日本では遺体処置に明確な基準をもっているのはエンバーミングのみである。エンバーミングは日本遺体衛生保全協会(IFSA)が自主基準とエンバーマーの養成基準をつくり行っている。
しかし、その他の湯灌、納棺に従事する者のほとんどが、基準や養成カリキュラム不在のまま行っているという状態は改善される必要がある。

 さらに、通常の遺体取り扱いにおいても、遺体の尊厳を考えるならば、公衆衛生的な配慮も充分に行うことが必要ではないか。
「手袋をして遺体を取り扱うと丁寧でないと思われる」
というおかしな配慮はもうすべきでないだろう。
「大切な存在だから手袋を着用して取り扱う」
と言い切る自信が必要ではないか。
 もし葬祭業が「前近代性」を脱却しようとするならば、遺体に対する尊厳性の確保の倫理教育と遺体取扱の公衆衛生の確保を図る必要があるように思われる。

■グリーフサポート

 北米の葬祭業者に最も学ぶべき点の一つは、遺族の心情を配慮することを第1に考える教育が徹底していることであろう。
 遺族との葬儀の前に行われる打ち合わせでも、エンバーミングも、お別れ(ビューイング等)でも、葬儀後の遺族へのアフターフォローでも、遺族のグリーフへの配慮が大切にされている。但し、雑誌等で見る限りであるが、それがときどきセールスプロモーション臭さを伴っているが。

 遺族のグリーフへの配慮を、橋爪謙一郎氏に倣って「グリーフケア」というよりも「グリーフサポート」と呼んだほうがいいだろう。
その理由は葬祭従事者においては専門家としての教育が不足すること、もう一つは日本語のもつ「ケア」という言葉がしばしば「癒してあげる」というような、上から目線になることを防ぐためである。
おそらく最も難しく、最も大切なのは、遺族自身が必要とするとき、その心情に耳を傾ける、寄り添うことであろう。

 そしてこの大切な業務は葬祭従事者だけではなく、係る宗教者にも求められていることのように思われる。
 宗教者と葬祭業者の葬儀に対するヘゲモニー争いほど不毛なものはない。主体は死者とその遺族である。その葬儀を「主宰する」のではなく、いかにその心情を配慮してサポートできるか、こそ配慮すべきことだろう。そのためには宗教者も葬祭業者ももっと謙虚になるべきだろうし、もっと自分の役割の重要性について自覚すべきだろう。

 ある人が「法事はお金になるが、グリーフサポートはお金にならない」と言ったが、お金は妬みや恨みを買うことがあるが、グリーフサポートは信頼を生むだろう。「葬祭サービス」を突き詰めれば「グリーフサポート」に行き着くはずであろう。

■霊柩車の未来

 かつて宮型霊柩車をもつことが葬祭業者の誇りであり、同業者間の競争の武器であった時代があった。
 しかし、ここにきて「その時代は終焉を迎えた」と言ってよさそうである。
 宮型霊柩車を選択するも洋型霊柩車を選択するも、また通称「寝台車」であるバン型霊柩車を選択するも、遺族の自由ということである。そしてどの葬祭業者においても消費者の選択権が確保されるためには、霊柩車の共有化、公平利用の原則が確立されるべきだろう。

 新型インフルエンザの脅威のみならず、感染症防御、公衆衛生の確保において葬祭業者はもちろんのこと霊柩車の搬送においても重要視される。また、葬祭業者がしばしば死者の家族が「遺族」になって最初に面会する者であるように、霊柩車は死者を最初に取り扱う物である。それだけにベッドからストレッチャーへ、そして霊柩車へ、そして安置へという動作一つひとつが重要になる。

 霊柩車の問題については北米をあまり見倣う必要はないだろう。宮型より洋型が優位になったとはいえ、あの尊大な霊柩車のありようはどうかと思うからだ。リムジンだ、ベンツだ、と大層がる時代は過ぎ去るだろう。むしろ丁寧な搬送こそが遺族の心をつかむだろう。
 日本の霊柩車保有者の団体である全霊協が災害時の遺体搬送に力を入れていることは大切なことに思われる。それだけではなく全葬連も互助会の団体である全互協も農協も、そしてIFSAも、災害時にはそれぞれで被災地支援を行うのではなく、協調し合って支援を行える時代が来ることが望ましい。

 寝台車も、そして斎場も、寺院も大災害では有用な道具であり施設となりうる。そうした役割が事前に徹底して告知されているならば、生活者から厚い信頼を得るのではなかろうか。人々の認識もきっと変わるだろうと思っている。

■プレニード

 NPOリスシステムが「生前契約」を開始したのは92年のことであった。これは画期的なことであった。
 北米のプレニード・アレンジメント(葬儀の生前契約)を、死後の葬儀を含む事務処理を生前に契約しておくということに拡大し、本人の権利として確立したからだ。

 いま多くの事業者が、契約まではいかないが事前準備システムを「生前予約」として取り組もうとしている。多くの事業者にとっては顧客の事前確保のためだろうが、それが顧客である生活者自身に意味のあることとする必要があるように思われる。
 もう既に高齢者遺棄の事例が見られるようになり、家族が解体し、孤独死の事例も多く見られる。上野千鶴子氏(東大教授)が言うように、物理的に単独で死ぬのが悪いということではない。しかし、他者から一切顧みられず、行政からも見放され、おまけに死後放置され、腐敗臭によってしか発見されない死、そうした死を招かない仕組みは必要なことであろう。

 遺族に死者を弔う自由と権利があるように、死者にも弔われる権利がある。どのような弔われ方が価値があるかを決定するのは、世間でも宗教者でも葬祭業者でもない。死者とその家族に決定権がある。場合によれば死者の側にいたのは家族でない者かもしれない。血縁に拘らず、本人と深い関係をもっていた人を「近親者」と呼ぶなら、その人にも権利がある。
 近年の「家族葬」が「血縁だけの遺族」によって勝手に営まれ、死者本人と親しかった「精神的な近親者」を排除するケースがある。これを避けるには本人が意思表示を事前にしておくしか方法がない。

■火葬と死穢意識

 長く火葬を拒んでいたキリスト教のローマ・カトリック教会も60年代に火葬を解禁して以来、世界的に火葬が増加している。
 北米でもまだ土葬を凌駕するまでには進んではいないが、飛躍的に火葬が増加している。同じアジアの韓国、中国でも火葬が進んでいる。
 明治末期に伝染病予防法を契機として日本では火葬率が増加し、60年に6割を突破以降急激に増加し、いまでは世界一の火葬率99%になっている。

 火葬率の増加には公衆衛生の認識の深まりだけではなく、土葬文化を支えていた地域共同体の弱化が影響した。
 火葬が公衆衛生上歓迎されるべきならば、火葬場という施設も尊重され、公共施設として地域で理解されるべきだろう。それが死穢意識が依然として強く残存し、迷惑施設として取り扱われる事態は改善される必要があるだろう。
 斎場もそうである。「近くにほしいが、あまり近くは困る」というのが「あたりまえの意見」になってはいけない。「死に関する施設」が「迷惑施設」とされ、はては「教育上よくない」という暴論も平気で出ているのが日本の実情である。

 死は「自宅の外」で発生し、葬儀が自宅で行われなくなり、死が人々に脅威ではなくなり、きれいに自分の生活の外で行われるようになることがいいことなのか。  自分たちの文化の問題として少し真剣に考えるべきではなかろうか。死の体験を家族の死の場合でも体験せず、目の前を通り過ぎるだけになることはけっしていいことではないと思う。
 火葬施設の近代化に文句の一つもないけれども、「きれいに」と人々が願う心情が、死のほんとうの体験や死穢の意識の助長になるとしたら複雑な感じがする。
 ほんとうは火葬場も斎場(葬儀会館)も1ヵ所くらいは不自由なところがあったほうが、考えるきっかけになるのでは、とひねくれた考えもしてみる。

■葬祭ディレクター―人材の育成

 葬祭ディレクター技能審査が開始されて本年で14年目になろうとしている。
 この審査には「現場では役に立たない」という意見も相変わらず多いことは承知している。また仏教界の一部には「葬祭ディレクター」を国際的な職名としての「フューネラルディレクター」の日本語版ではなく、あえて「葬儀を導師に代わって差配しようとする(不埒な)者」と誤訳してみせて煽る者もいる。

 葬祭従事者がきちんとした知識と技能をもち、消費者保護の意識をもち、見識と誇りをもって仕事ができるようになること、そして社会もきちんと認めることが社会の健全性のためにもいいことであるはずだ。宗教者も死者や遺族のために協調して葬儀をサポートすることは歓迎すべきではないか。それを一部が僧侶の権限が侵されるという煽りを行うのを憂う。もっとも一部の不心得者が葬祭ディレクターにいては問題であるのは言うまでもない。

 近年、葬祭業に新規参入している事業者や従事者の中には、葬祭業の内部にいるだけでは発見しにくい目をもって、葬祭業の進化、深化、さらには社会にとってのあるべき姿を指し示す人が多数いる。業界が外に開かれているということは業界にとっては、脅威だけではなく、改善に必要なことである。これに過剰な障壁を作ろうとすることは避けるべきである。
 だが新規参入者の中には、いたずらに葬祭従事者に対する社会的偏見を煽り、見識も能力もないのに自らだけを益しようとする者がいるのは事実であるし、虚業家もいることは心配している。新規参入者は「葬祭業」に対してもっと謙虚であるべきだと思う。

 この業界に必要なのは、人材を発見、教育し、また、新たな感性、知見に逆に学ぶことであると思う。
 葬祭ディレクター技能審査は、資格を示すIDカードが重要なのではなく、これを教育の機会として生かすことが重要なのである。そして生活者に信頼される葬祭ディレクターが一人でも多く育つことが重要なのである、と筆者は考える。

■消費者からの信頼

 米国でフューネラルロー(葬儀に関する消費者保護のための法令)があるのは、葬祭業者の消費者保護ができていなかったからである。その規制のためにできたもので、こうした法令があることは自慢になることではない。

 近年日本においても、公正取引委員会や総務省の調査が葬祭業に対して行われているのは、葬祭業界に消費者保護上の問題があるからである。
 社会的規制が出てきたということは改めるべき事態があるからで、業界はもっと真剣に捉える必要があるように思う。
 必要なのは法令ができることではなく、業者の自主倫理基準の作成であり、情報のわかりやすい開示であるように思う。

 全葬連がガイドラインを作成した。内容は不充分かもしれないが、こうした積み重ねが業界を改革し、ひいては消費者の信頼を得るものに繋がるはずである。全互協もJAも全葬連のガイドラインを超えるものを作ればいい。こうした競争は消費者にとっては歓迎すべきことである。
 消費者の信頼を得ると共に、いのちの尊厳を守る文化に貢献し続けることは、葬祭業の役割であると同時に誇りの根源であるように思う。

 いま「消費者主体へ」とサービスについて語られ、それは葬祭業にもあてはまることである。葬祭業者は意識を変えることが求められている。
その反面、「倫理をなくした消費者」も少なくない。
葬儀費用が回収できない事例は全国的に明らかに増加している。「遺族」でありながら、弔い、葬りをできれば回避したいと考え「死体処理」として葬儀を営む遺族も多いし、残念ながらこれから増加するだろう。

 おそらく本稿には妄言と指摘される部分や誤りも含んでいるだろう。また「葬儀の現場」から離れた言葉の羅列かもしれない。特に葬祭従事者の就労環境は必ずしもいいものではない。仕事特有のストレスを抱えている。これのケア体制は今後考えるべき課題である。
 葬祭業はイベント業者ではないことは言うまでもない。葬祭業から「遺体の取扱」を除くことが近代化ではない。

 この不況下、死亡者数は増加するものの、葬儀の小型化に伴い、葬儀単価の低下は避けられないだろう。葬祭業界は高度経済成長期に見た「夢」をもう見ることはないだろう。それだけに葬祭業とは、何を、どのようにすべきか、という原点からの問いが必要なのだろう。

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