葬祭サービスを問う

1.「葬祭サービス」の起源と変遷

■サービス業

 いまは多くの葬祭事業者が「葬祭サービス」という言葉を何の不思議もなく用いる。「葬儀はサービス業である」と。
「サービス」という言葉を単に「ただ」「無料」とだけ誤解している人もいるので、少し詳しく説明しておこう。「サービス」には「奉仕」などいろいろな意味がある。
 ちなみに広辞苑では「サービス」の定義に次のような記述がある。

 物質的生産過程以外で機能する労働。用役。用務。

 これが今回扱う「サービス」の定義である。つまり物を作る労働ではない、ということである。そして「サービス業」についても記述してある。
 日本標準産業分類の大分類の一。旅館・下宿などの宿泊設備貸与業、広告業、自動車修理などの修理業、映画などの興行業、医療・保険業、宗教・教育・法務関係業、その他非営利団体などを含む。

 ちなみに産業は大きく3つに分けられる。
第一次産業 農林水産業など直接自然に働きかけるもの
第二次産業 産業のうち鉱業、鉱産物や農林水産物の二次加工、工業では製造業と建設業
第三次産業 商業・運輸通信業・サービス業など、第一次・第二次産業以外のすべての産業

 つまりは物作りではない産業が第三次産業である。
 葬祭業がサービス業であるのは自明のことではなかった。昔は葬具を作って販売していた時代もあったのだから、第二次産業であった時代もあるし、第三次産業とはいえ、商業に分類された時代もあった。
 葬祭業とは、物ではなく付加価値を提供する、と認識されたのはたかだか30年前からのことである。

 そこで盛んに言われたのは「ハードからソフトへ」という言葉であった。葬具作りや葬具・造花等の販売が業の中心ではハード(物)中心であり、ソフト、つまりお客に安心と満足を提供するものでなければならない、という議論であった。

■「葬儀はサービス業」という主張の背景

「葬祭サービス」なる用語が登場するのは戦後である。
 用いた人は「葬祭業は葬具賃貸・販売業からサービス業に変わらなければならない」という意味をこの言葉に込めた。
 もう一つは、「葬祭業は遺体処理業ではない」という主張であった。これには少し説明を要するであろう。

 戦後アメリカとの交流を行うことによって業界人を驚かせたのは、アメリカの葬祭業者は市民から尊敬される存在である、ということであった。日本でも葬祭業者は尊敬される存在にならなければならない。つまりは社会的地位の向上を図る必要がある。
 このときの日本は葬祭業者に対する社会的偏見が満ちていた。社会的に差別される存在であった。この社会的差別を払拭することが悲願となった。

 社会的差別の元凶の一つは、葬祭業=遺体処理業=死穢(しえ)に染まっている者というものであった。そのため「葬祭業は遺体処理業ではない。サービス業である」という主張を生んだ。ここにはいたずらに差別されたくないという悲痛な願いがあった。

 いまは第三次産業が隆盛の時代であるが、ちょうど高度経済成長期を迎える頃は、第三次産業が注目を浴びはじめた時代であった。この時代の流れに乗っていかなければならないという向上心が「葬祭業はサービス業である」という主張に体現されたのである。
 また、いまでも葬祭業の多くは中小零細であるが、当時も中小零細が多く、家内工業的経営がほとんどであった。そこで「サービス業」という掛け声と同時に「経営の近代化」が叫ばれたのである。

■葬祭ディレクター制度のもつ意味

 アメリカの葬祭業者との交流の中で日本人の業界人の眼を引いたのは、エンバーミング(遺体衛生保全)であった。しかし、その高度な技術と専門性を見て思ったことは、将来的には日本でも葬儀専門の教育機関をもたなければならないという、当時では夢のような構想であった。また、刑法190条死体損壊罪に抵触するのではないかとの危惧もあり、早急な導入は見送られた。

しかし、その後、アメリカのエンバーミングに対抗するように、日本の先進性を主張したのは火葬率の高さであった。
火葬においては日本は先進国である。もとより当時(昭和50年代)も現在も日本は火葬率は世界一であったので、その後は「日本は火葬国なのでエンバーミングは不要」という意見が大勢を占め、日本へのエンバーミングの導入は1988年まで待たなければならなかった。

 アメリカの葬祭業者の社会的地位向上を保障しているのがフューネラルディレクターという資格制度であった。これが日本では最初は葬祭業者の登録制の主張となって現れた。しかし、これは昭和30年代以降、互助会をはじめとする葬祭業への新規参入の規制の意味ももったために、現実的には有効な動きにはならなかった。しかし、この資格制度への願いは業界の底流に深くあり、これが10年前の1995年に労働省(当時)認定葬祭ディレクター技能審査制度という形で結実するのである。

 サービス業というのは人材が核になっている。人材養成が要である。これがお客に提供するサービスの質を左右する大きな要因になっている。葬祭ディレクター技能審査が始まって10年。これが果たした意味、役割は大きい。葬祭ディレクターの誕生は、日本の葬祭サービスの質を著しく向上させ、ひいては葬祭業の社会的地位向上に貢献している。葬祭サービスを論じるとき、葬祭ディレクター技能審査という、業界の垣根を越えた、開放されたシステムの存在を抜きにはいまや語れないだろう。

 いまは制度上可能になってはいないが、将来的にはこの資格が研修等による更新制度をもてるようになればいいと思う。全体の水準維持のためには是非ほしいものである。そうすればよりいいシステムになるだろう。

■「葬祭サービス」は誤訳から?

「葬祭サービス」という言葉は、葬祭業の業態改革、近代化、社会的地位の向上を象徴するものとしてあった。この言葉、実は当時の提唱者の言によれば「フューネラル・サービス」の直訳であった。これを「葬儀のサービス」と理解したのである。

 辞書を調べると、この場合の「サービス」は「サービス業」のサービスではない。「礼拝」を意味する。宗教儀礼である。だから直訳するならば「葬儀式」とでもなるべきである。葬儀自体が神への礼拝として、仏教的に表現するならば法会(ほうえ)として行われることを表している。もちろん現代アメリカではもっと世俗的に理解されているが、原義はそうである。

「隣人にすることはすなわち神にすることである」ことから「サービス」が奉仕という意味になったり、お客への心を込めた接待になったり、軍務や法務への厳粛な勤めという意味になったのである。
 こういう誤解を経たものであったものの、「葬祭サービス」という言葉は、葬祭業の未来を表す言葉として誕生したのであった。

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