基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
長過ぎる不在
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
長過ぎる不在
先日、後輩の息子が死亡し、葬儀に出かけた。
職場で倒れ、入院。
10日後に息を引き取ったという。
遺族の顔を見ると、15年前の私とそっくり。
目はときおり上げるが誰も見ていない。
宙を彷徨っている。
私は15年経たが、息子の不在から卒業できていない。
5年後に部屋の模様替えをしてみたが、かえって居心地が悪くなった。
息子の帽子を2つ取り出して玄関にかけてみた。
ときおり触ってみるのだが、心は冷え冷えとするばかりだ。
でも帽子はもう動かせない。
運動靴も1足だけ玄関に置いたままだ。
それは新品で、ついに足を通されなかったままだ。
娘はもうすっかり成人したが、毎朝出勤前に
「お兄ちゃん、行ってきます」
と仏壇にチーンと鉦を鳴らして出かける。
何か辛いことがあると、一人仏壇に向かって小声で言いつけている。
娘の心には兄は居ついたようだ。
私の心にはまだ居つかない。
でも卒業できないのは私だけではない。
息子の祖母である義母がそうだ。
「私が歳をとっても生きているのはお兄ちゃんに悪い気がする。代わってあげたかった」
と悔やむ。
わが家では息子の死以来、誕生日は禁句となっている。
家族が揃っているときは会話も普通に飛び交うのだが、夜はいけない。
私たち夫婦だけになると、会話は時おり続かなくなる。
気がつくと二人で呆としている。
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