一巡

きのうは曇りでしたが、きょうは晴れ
秋晴れの天気が続きます。

祖母が90を超えて死んだのがかれこれ30年前になるでしょうか。
ついこの間という感じがしますが。

そのときの父、叔父の年齢にいま私たちきょうだいがいることになります。
そして息子たちが当時の私たちの年齢です。
一巡した感じです。

父の死のことは『死に方を忘れた日本人』でも書きましたので、覚えていてくださる方もいるかと思います。
父は5人兄弟(男ばかり)の長男
いちばん下の弟は千葉に晩年住みましたが、父と私たちとちょうど真ん中にあたる年齢差でした。
私が高校を出て最初に上京したとき、その下の叔父を訪問した折、貧しかった叔父は私を歓待してくれて1つだけ五目ソバをとってくれました。小さな甥、姪が見つめる中、ひとりそれを食べる居心地の悪かったことをいまでも思い出します。
その下の叔父は60代で病死しました。気風のいいおばもその前に死にましたから、この夫婦は若死でした。

父の2番目の弟は自死、
4番目の弟は家出して「浮浪者」の仲間入りで50代でいわゆる「野垂れ死」でした。死んで仙台にいる叔父に警察から連絡が入り、という具合でした。

3番目の仙台の叔父が私たちきょうだいとは親しくしてくれました。
祖母の葬式にあたり、父と仙台の叔父がどうでもいいことで喧嘩して言い合いをしていましたっけ。

きょうだいというのは不思議に感情的絆が強いものです。
よく葬式だと叔父、叔母は子どもにうるさがられたり、遠ざけられたりされがちですが、本人のきょうだいですから、もっと大切にされていい存在であると思います。

父の葬式のとき、お礼のあいさつ文を既製品は使わず、きょうだい3人で合作しました。最後の名前の欄に母の名、3人きょうだいの名、そして一人残った仙台の叔父の名前を入れました。名前を入れることの了解を叔父に得ようとしたら「僕の名前はいいんじゃないの」と言いながら嬉しそうでした。

私は知らないことが多いですが、父の兄弟にはたっぷりと物語があります。

私も60歳、テレビで団塊世代を対象とした「定年」番組にはついチャンネルを回してしまいます。
人生8掛けと言われますが、いつ死んでもおかしくない年齢になったことは確かです。
頭の奥が重い日が最近続いていますが、脳梗塞の予兆かな、とも考えてしまいます。

死が怖いというのではありません。
3年前に極度の欝の中でようやくの想いで上梓したのが
『死に方を忘れた日本人』
でした。これは私にとって遺書でした。
「遺書」というのは次代に伝えておくべきもの、という意味です。
もう遺書は書き終えましたので

さてさて一昨日、大阪の講演のご案内をしましたが、市民の方向けの催しをご案内します。

10月21日(土)13:30~
エンディングセンター主催秋のミニシンポ
「自分らしいお葬式をおこなうには」
会場:四谷・弘済会館4階会議室
参加費:1000円
問い合わせ:042-850-1212
私は進行&コメンテーターを務めます。
うまくいくも、失敗するも私次第ということのようです。
この後、エンディングセンターNPO法人設立総会を開催します。

10月28日(土)13:30~
NPO法人ライフ・アンド・エンディングセンター主催
「樹木葬を考える」
会場:埼玉会館7B会議室(浦和駅西口5分県庁前)
参加費:500円
問い合わせ:048-855-1238
私は「墓の革命と樹木葬」と題して基調講演を行い、その後パネルトークのコーディネーターをします。

訂正
9月29日のブログで「新ソーキョウ人の選択」と番組名を間違って記載しました。
コメントでご指摘いただいたとおり「新トーキョー人の選択」の誤り
お恥ずかしい話でご指摘いただきながら、何のことかわかりませんでした。
訂正済みです。
なお、この放送関東甲信越だけの放送でしたが視聴率は10.1%と好調だったようです。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/