やっと事務所も皆揃う。
普段の感じはやはり落ち着く。
一人で事務所にいると、やはり侘しい。
年末年始は駐車場も休み、そのためカードキーを使って入り、自分で開け閉めをして、人気のない地下室を歩いて…
きょうは係員もいるのでホッとする。
道路はきょうはまだ空いている。
本格的な戻りは9日からなのか。
家族がらみの事件が目に付く。
いちばん怖いのは身の回りの家族ということか。
子どもの虐待が気になる。
虐待された子をいったん収容するが、それをまた戻し、また虐待
収容したら後は社会の子として育てるという仕組みを考えないといけないのではないだろうか?
家庭内暴力というのは、徹底的に暴力を振るうほうを治療しないかぎり、繰り返されることが多いようだ。
犠牲者はきちんと保護される必要があると思う。
皆が休んでいると、事務所に出ていても半分休み気分
小説をまとめて読む。
仕事も少々する。
家には早めに帰る。だからテレビもいつもより観る。
旅行の趣味もゴルフの趣味もないない尽くしの私にはこのスタイルが身にあっているような気がする。
ところで
「千の風になって」
http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/1000wind/1000wind.html
この有名な詩についてゆきさんが違和感(?)を呈しているが
http://plaza.rakuten.co.jp/sougi/
この詩のいいことは認めるが、私は次の部分に違和感がある。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
死亡という事実を認めること、泣いていいということをむしろ言わないといけないのではないか
心のうちで常に覚えるということと死の事実確認、泣くということは両立するのではないだろうか。
この詩が死という事実に立って歌われていることはわかるのですが、「泣かないください」「死んでなんかいません」と言うのは違うような気がする。
前からこれが気になっていたので、ゆきさんのブログに引きずられて感想を書いてみた。
どおりで、ブログのアクセス数が激増したと思ったら、ここに掲載してくださっていたのですね!
世間で絶賛されているものに対して違和感を表明するのは勇気が要るなあと、つくづく思っております。
この歌が広く知られてから「泣かないで前向きに生きなくては」と泣くのを我慢しようとする遺族の人が、確かに多いような気がしています。
千の風になって
はじめまして(^_^) TB失礼します。千の風になって を検索していてこちらにたどり着きました。音楽配信お役立ちサイトを運営しています。千の風になって の関連記事として紹介させていただきました。またお邪魔させて頂きますね。…
“一つの詩一つの風とめぐり逢う”「川柳ふあうすと・前川千津子」 私の好きな句です。
先生のお説の通り「涙」には幾つもの物語がありますね。それを“泣かないでください”と詠うのにはいくら死者の心とはいえこちらの思いを表すには違和感を覚えます。
千の風は9.11で有名になりましたが原詩の出所も明確ではなさそうです。問題はweepと記された部分を如何に訳すかではないでしょうか。今回は「新井満」氏が訳詩したものですが他にも訳者が大勢いますよね。「斎藤薫」氏の詩が私は好きです。“もしも私が死んでもどうか悲しまないで下さい・・以下略” 今回は紅白での一つの詩ですから感激される方がおられても不思議でもなんでもなく、表現を自然に受け止められた方がおられた方が多く「ゆき」様のブログに(拝見しました)アプローチされた方が多いのではと思いました。
冒頭の川柳には一つの風とありますが、それが「千の風」ですから思いは多様で良いと思いましたが、御気に触りましたでしょうか。
「泣きながら遺産を指折る通夜の席」よりはましでしょう。・・・旅立ちを待つ老体からです。(私は笑って送って。と記しております)
境様へ
はじめまして。ご訪問くださりありがとうございます。
思いは多様であり、様々な感じ方がある、と私も思っております。
常に一人称で語るよう(「私は~思う」というように)心がけているつもりですが(^_^)