夏-死者の記憶

お盆で休暇をとった人が多いのだろう。
道路が空いていたので、いつもより15分くらい短縮。
昨日は結構混んでいたので、きょうからという人が多いことがわかる。

お盆には死者と懐かしむという感情があるように思う。
帰郷しての仏壇に置かれた死者の写真に対面し、墓参りして、死者との距離感が近くなる。

だが、お盆が死者を懐かしむだけではなく、死者に心を傷める機会となり、悲嘆がぶり返すことにもなる。

この夏の日はまた戦争のにおいを強くしている。

出征した最後の世代が80歳。
幼少年期を過ごした人が70代である。
私は戦後の第一世代、戦後の荒廃の中で子ども時代を過ごしたが、前の時代に比べ、安楽であることを恥じていた。

私はそれほど偏食ではない。
ダメなのは唐辛子の辛さ。だから東アジアに旅行はできない。
子ども時代にニンニク、ニラが苦手だったが、今はそれほどではない。といってもニンニクを生で食べることは想像するだけできつい。

食べられはするが、いつも苦い思いをするのがエビフライ。
子どもの頃、あれが私にとっては手に入らない高級品という印象で、以来エビフライを見ると敵意を覚える。
エビフライに責任はないものの、見ると恨み、怨みの感情が無意識のうちに湧いてくる。
そういうことがあるせいか高級食材をいいとは思わない。
まったくもってグルメとは縁遠い。

今年も月末に新潟に行くが、ここでいただくナスの漬物が秀逸である。丸く、少し大ぶりなのだが、これを丸ごと口に入れたときは幸せである。

私はラジオやipodを流しながら仕事をしているのだが、エフエムのJ-WAVEやTBSで、このところ「おくりびと」http://www.okuribito.jp/の試写会の案内を耳にする。自分の関心が高いから耳に入るのか。
この時期にこうした死にまつわるものの宣伝をするのは賢明だ。よく考えられている。死者を想うことが自然な季節といってもいいだろう。

死者に対する想いというのは、「多様である」というより「それぞれ」である。これは極めて個別である。
だが、皆がそれぞれ身近で経験したものであるがゆえに、自分の感覚が普遍的であると思ってしまう。
研究者の論文は客観的だと思いがちだが、こと死生観に関しては自分の体験からもたらされる感覚から自由になっていない。
私が読んで不満をもつことはこういうことだ。

これまで「日本の葬儀の95%は仏式」と言っていた。
だが、ついに、と言うべきか、9割を切った。
2007年の日本消費者協会の調査によると89.5%である。
いよいよ葬式からの仏教離れが始まったようだ。
ちなみに神道3.2%、キリスト教1.7%で、「無宗教」は3.4%

このデータを地域ごとのを用いる例があるが、これでもデータが不充分なのに地域ごとにしたらとうてい使えない。
と言いながら、参考までに東京、神奈川、埼玉では仏式が82.8%である。

でも考えようにはこの地域は4割は檀那寺をもたないと推測されるので、まだ仏教へのこだわりは強いと見るべきだろう。
そこで僧侶派遣プロダクションが暗躍する土壌がある。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「夏-死者の記憶」への1件のフィードバック

  1. >死者に対する想いというのは、「多様である」というより「それぞれ」である。これは極めて個別である。…
    おっしゃるとおりです。私の死に関する考え方も、その根底にあるのは、ちっぽけな個人的な経験でしかなく、これで他人とちゃんとコミュニケートできるのか、不安です。
    私には、戦争の悲惨な経験があるわけでもなく、親しい肉親の死の経験すらまだありません。
    確かに昨年死にかけましたが、それくらいで、いったい何がわかっているというのでしょう?限界を感じます。

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