2泊3日で大阪へ行ってきた。
遊びではなく所用である。
泊めていただいたのは普段はビジネスホテル程度が多い私には身分不相応なホテル、前に九州でスイートルームなるものに泊めていただいたがそれ以来の豪華なホテル。
気持ちが落ち着かない。
昼に簡単に腹を満たそうと思ったら、最低が2500円のサンドイッチ。ホテル外に出れば安い店はあるのだが、時間がなく、泣く泣くそのサンドイッチを食した。
2日目、私の出番前に青木新門さんが「いのちのバトンタッチ―『おくりびと』と『納棺夫日記』―」と題して講演。
皆さん熱心に聴いておられた。
私が尊敬するYさんは、映画「おくりびと」を2回観て、そのたびに涙を流したと言っていたが、新門さんの話にも大感激。
Yさんは70代前半で新門さんとは同世代。
世間の冷酷な偏見を身をもって受けた人々である。
この世代の人たちには人間的に尊敬できる人が多い。
子ども時代を戦時におくり、敗戦後に教科書の黒塗りをさせられ、教師すら慣れない民主主義教育を教えられて価値観の変更を強いられ、そして戦後を生きてきた。
特に高度経済成長期は死にまつわることへの偏見が強かった。
2日間所用が終了後、街に出た。出たといっても地元の人に連れられであったから、どこに行ったのかわからない。
ミナミであることはわかったが、途中路上に客引きが溢れ、店のキャッチコピーにも笑えるものが多い。
このけばけばしさ、猥雑さは、新宿歌舞伎町がすでに失ったものである。
大阪は不景気だと聞いていたが、この賑やかさは必死に抗っていることの結果なのだろうか。
もっとも入ったのはその道から少し入ったところにある、落ち着いた素敵な店である。
こうした店と猥雑な店が同居しているのもおもしろい。
私は街の喧騒、猥雑さは嫌いではない。
学生のとき、行き詰ると歌舞伎町を彷徨い歩いたものである。
先日、場所は東京五反田だが、道を歩いていると黒服で固めた男女5人くらいが信号待ちしていた。
「塩が入っているよな。もって帰らないとかみさんに家に入れてもらえない」
などと言っている。
葬式帰りの40代とおぼしきサラリーマン。
いまだに死穢(しえ)意識が当然のようにはびこっていると知ったのは驚きであった。
あー、未来は暗い。
碑文谷先生のブログや葬儀考、楽しみに読ませていただいています。
いつだったか先生が書かれた中で、葬式の時に故人の名前の下に「○○儀」とつけるのはおかしいと書かれてあったと記憶があるのですが、何故でしょうか?
過去の記事を探しているのですが、見つけることができません。
宜しくご教示ください。m(_ _)m
りょう様
ありがとうございます。
いろいろなところで言っていますが、確実なのは『改訂葬儀概論』p136の上段4で書いています。
大阪はわたしのもっとも長い友人のいるところ^^
私も実は今日、大阪に行きたいなあと、ふと思ったんです、そんな日のこの碑文谷ブログでした*^^*
なんとも言えない、東京モンには作れない心地よい味わいを感じます。
りょう様
故人の名につける「儀」のこと
WEB上でも書いていました。
日経BPのセカンドステージ第16回「これおかしくない?」に2ページめに書いています。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony_070921_3.html