いいかげんにせよ 偏見・蔑視の塊「週刊ダイヤモンド」

「週刊ダイヤモンド2月13日号」で
特集「安心できる葬儀」の書き出しはこうだ。

愛する家族との永久(とわ)の別れは、なににも増して悲しいものだ。にもかかわらず、満足のいく送り方ができたという人は少ない。その大きな理由は葬儀業界にある。遺族の知識不足をいいことに、不必要なサービスを押し付け、過剰な利益をむさぼってきた。この特集では、業界に横たわる闇の構造にメスを入れ、葬儀の基礎から葬儀社の選び方、対応が安心できる葬儀社まで懇切ていねいに解説している。自分が納得してこそ、故人を心から弔うことができるだろう。

「週刊ダイヤモンド」は以前から葬祭業に対する偏見と差別根性丸出しの記事を書いてきた。

「過剰な利益をむさぼり」「業界に横たわる闇」
このまさに過剰な表現に彼らの「悪意」が見てとれる。

私が見た葬祭業界というのは、けっして問題なしではない。
しかし、他の業界に比してとりたてて悪い業界ではない。
いわば「普通」の業界である。
それをあえて「ぼろ儲け」「騙し」「価格のカラクリ」と言うのか。
悪意があるとしか言いようがない。その裏には「こんな業界だからそうだろう」という思考停止に陥った差別感情、偏見がある。

葬祭業界には、「死」「葬儀」について真剣に熱心に考えている人たちが多いことも特徴である。
いわゆる「世間の押し付け」があった場合、身をはって死者や遺族を守ろうとしている人も少なくない。
「葬祭業」という事業であるが、その事業に携わることに「利益」だけでなく「意味」を考えている人が少なくない。
それは少しでも彼らに接すればわかることだ。

いま60代以上の人は子ども時代にその職業蔑視意識からいわれなき差別、いじめを体験している人が多い。だから彼らは必死にその仕事の意味を考えた。
無論、他の業界がそうであるように「儲かる」ことだけで参入した人たちもいる。しかし事業に携わることにより、そんな甘い気持ちだけではできない仕事であることに気づくようになる。

事故遺体、腐敗遺体も取り扱うし、遺体のケアも神経をつかう。遺族の痛切な悲嘆に向き合うことも多い。遺族の悲嘆もさまざまである。
葬儀というのは通夜、葬儀(告別式)という儀礼も重要であるが、それ以外のプロセスも重要で、細かい配慮が要求される。

24時間受けつけのためには夜勤もあるし、準備時間が短いために時間的余裕もあまりない。死者はもとより固有のそれぞれの生涯があり、それを囲む人たちもそれぞれである。
宗教者もそうであるが、それぞれの弔いをどうサポートすべきか、正解はない世界である。

葬祭業とは、祭壇を設えることも含むがそれだけではない。むしろモノを売っているのは全体の4割程度である。さまざまなサポートが主たる業務になっている。

棺が2万円と5万円があり、2万円としている業者が良心的だとは単純には言えない。
モノは安いがサービスが悪いということもある。
要は見きわめである。
遺体のケアというだけで10万円でも高いとは言えない。

誤解を受けるのは、モノを売っているのは4割程度であるのに、そうしたサポート費用が表面に出ていないからである。
これにはいわゆる「消費者」にも責任がある。モノにはお金を払うが形にならないサービス、サポートは「タダ(無料)」という感覚があるからだ。
この記事の問題はモノの値段で評価している点である。それがいかに実態と離れているか。
この業界で多くの人が「モノでお金を請求したくない。仕事を評価してほしい」と思っていることを知らねばならないだろう。

この雑誌で原価と請求額とあるがこれも怪しい。
霊柩車の原価とあるが事業者別の届出制になっており、車種によって違う。バン型と洋型の特殊仕様車とは料金体系が異なっているので原価が違うわけではない。

火葬の原価?
一般に東京23区は民営が多いが、他は地方自治体経営が多い。市民なら無料というところ、1万円とするところ、但し市民外では4万5千円とするところなど。
但し、ほんとうにいくらかかっているかを計算するならば民営、公営を問わず、1件あたり6万円程度かかっている。
それを民営は10万円の部屋や控室使用料、式場使用料等を考慮して値段を設定している。公営は福祉分野と考え、援助している。公営が安くて民営が高いわけではない。公営は税金で補っている。

20年前に私が死や葬送をテーマとして雑誌を始めたとき、マスコミにはまだ強くタブー意識が残っていた。
だが記者一人ひとりと話すことにより、彼らの記事も変わってきた。

映画「おくりびと」に死者を納棺することを職業とする主人公への世間の強い蔑視意識が描かれた。この点は原作である青木新門『納棺夫日記』にも書かれていることである。
またこの映画を観た葬祭従事者はこの場面に傷ついていた。

あいかわらず偏見をもったマスコミがいて、その代表が「週刊ダイヤモンド」である。
まず偏見ありきで取材を始めるから、結果も偏見と蔑視の塊のような記事になる。

私は前回では取材を拒否したから今回幸いにも取材に来なかった。前回拒否したのは、その前の取り上げ方があまりに酷い、「悪意」としか言いようがないものであったからだ。

新規の業者で「既存の業者の価格は不透明」と言って自社だけがよい、と主張するところがある。既存業者の全てが悪いなどということはあるはずがない。そんな商売で生き残れるはずがない。
入りたての業者は「素人」であれば、もっと謙虚であるべきだ。

この手の偏見がなくなることを切に願っている。

この業界にはマーケティングをやっていた人間も今数多く入っている。その中には見識をもった人もいればそうでない人もいる。
上から目線で葬祭業を見る人間は私は好まない。
人の死とそれを弔うことについて直視せずこの業界について語る人間を(その人が業界内であろうと業界外であろうと)私は嫌う。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「いいかげんにせよ 偏見・蔑視の塊「週刊ダイヤモンド」」への14件のフィードバック

  1. ご無沙汰しています。
    今回の週刊ダイヤモンドに噛みついていただけると思っていました。
    業界の意見の代弁者として、今後も発言してください。
    よろしくお願いします。

  2. 私は「業界の意見の代弁者」たりえませんが、正当に努力している人らを貶める輩にはきちんと意見を言いたいと思っています。
    もっともらしい顔をして、蔑視、偏見、差別を助長するのは、ジャーナリズムに身を置く者として、あってはならないこと、と自戒しています。

  3. はじめてコメントさせて頂きます。
    マスコミの葬儀社の描き方は、もう画一化というより水戸黄門的な芸になってしまい、新しい切り口を探そうという気もないようですね。不透明体質もしくは対極の価格破壊でしょうか。こちらのブログで久し振りに正論を拝見し、少しホッと致しました。
    さて、実は碑文谷様にお尋ねしたいことがあります。専門的で且つ他愛のないことですので、もし差し支えなければメールをお送りしたいのですが。

  4. 元葬儀社勤務さま
    メールアドレスをつけておきましたので、こちらからどうぞ。
    またホームペイジのメニューの一番下の「ご意見をお待ちしています」の左のメール印をクリックしてください。

  5. ありがとうございます。
    それではお言葉に甘え送信させて頂きます。
    尚、上記の水戸黄門は正確には水戸黄門の再放送と書くべきでした。
    お約束の論調という意味だけでなく、ある程度の計算ができる記事で誌面を埋めておけばいいという思惑があるような気がしてなりません。結局、担当している人が自発的に創った記事ではないということなのでしょうか。残念です。

  6. 目には目を マスゴミにはマスゴミを
    なのかなぁと最近思います。
    日本のマスコミはジャーナリズムと呼べる代物ではありません。
    どんな取材対象であれ(皇室や巨大教団やヤクザやアイドルプロダクションは不可侵だが)、気分次第で持ち上げたり叩いたり。取材も編集も浅いし。
    ならば、「葬儀社が如何に辛く過酷で儲からない商売か。それでも使命感でやってます」というキャンペーンを張るのが一番です。
    赤坂あたりの局にお涙頂戴のドキュメンタリーを撮ってもらいましょう。

  7. 週刊ダイアモンドを見ましたよ。私はお葬式のことは知識があるんですよ。最近のお客様の多くがこのような発言をされます。
    お話を聴いてみると、どなたの発言もどこかで聞いたようなことばかりなのです。
    「おくりびと」の時にはなかった反応が最近あります。映像はあまり多くを語らず少し考える時間を与えてくれるのですが、活字になるとそれは断定的で偏見に満ちていると感じます。金銭の問題に固執しいかにお金がかからない葬儀にするかだけを重要視しているメディアの風潮をどこで食い止められるのでしょうか。取材方法も目に余るものがあり、取材される側ももっと自分の言葉に責任を持ってほしいと思います。

  8. >これにはいわゆる「消費者」にも責任がある。モノにはお金を払うが形にならないサービス、サポートは「タダ(無料)」という感覚があるからだ。
    今時、サービスは無料という感覚が消費者にあるのでしょうか?
    色々なサービス業が存在し、それらはサービスの値段を明らかにしています。そしてその値段に納得し、お金を支払う。
    ここが祭壇や棺などに人件費などを乗せる葬儀社との違いだと思います。
    比較の可能性を狭められているのが、葬儀に対する不満が8割の根拠だと思っています。
    決して消費者ばかりの責任ではないと考えています。
    消費者と、その8割の不満を軽視していることが本日のブログに対する不満であります。
    葬儀社に働く正当に努力しておられる人たちを省みないのではありません。不満8割の事態を重く見れば、彼らのためにも業界とは対立すべき点が多いはずだと思うのです。

  9. 蜆さま
    葬祭業が道具提供業として開始され、なし崩しに業務の提供分野が拡大していったのですが、それらの人件費等を高度経済成長期に「祭壇競争」になったとき、「祭壇料」に組み入れました。その当時の「消費者」は「祭壇」というモノにこだわったからです。
    現在ではおっしゃるように「葬祭サービス」という感覚が強くなっていると思います。しかし、葬祭業者はあいかわらず祭壇料とか物品費として計上しています。これがだめだろう。きちんと性格別に項目の構成をし直す必要があります。
    そうでないとサービスは約束されていないことになり、そのサービスの提供が保証されないからです。
    せめて項目が共通枠で設定されるのであれば、消費者の比較もよりしやすくなるはずです。
    以上は持論で、業界にもかねがね提唱しています。そうでないと誤解が広がるからです。
    ダイヤモンドのようなモノだけの値段の比較で「ボッタクリ」などと言われる不幸は避けられるでしょう。また、消費者も「選択する主体」になることに前進するでしょう。
    その点、業界は「変わるべき」時点にあるでしょう。
    だが、もう一つ。
    葬儀の主体はあくまで遺族であるということです。そうであるように葬祭業者ももっと理解する必要があるでしょう。
    しかし近年の新規参入組には「消費者」としての面のみ見ているように思えるのは残念です。

  10. 無粋ながら上記不満8割に一言申し上げます。
    私は司会だけでも千件以上、立ち会うという意味なら五千件以上の葬儀を、それも病院迎えから収骨まで含めて経験しました。社葬も密葬も家族葬も、骨葬も土葬も、神式もキリスト教式も、逆縁も自殺も事故も赤ん坊も大往生も、大金持ちも生活保護受給者も著名人も外国人も被差別部落で生活されている方も寺院の御住職も葬儀社の社長も夫婦一緒の葬儀も、遺族として自分の親の葬儀も体験しました。だから曲解されるのを覚悟で書きます。いい葬儀なんてありません。満足する葬儀なんてないのです。逆に言えば、不満と答えた人が全て憤っているわけもありません。訊かれると、殆どの人はそう答えるか、何も答えないものなのです。
    先入観なく考えてみてください。大切な家族が亡くなった心痛の中で、予定になかったお金と時間と労力を使う催しに満足なんてするわけがありません。
    無事に終ってまぁまぁというのが、葬儀においては最高の誉め言葉なのです。そして、だから現役の葬儀社さんは大変なのだと思います。
    葬儀のアンケートは、ハード(費用)もソフト(感想)も、そのままでは、あまり参考になりませんよ。

  11.  追伸
    論点が少々ズレているのは承知で書きました。お気に障ったらお許しください。葬儀業界に問題があるのを否定するものではございません。ただ、ベースになる数字を誰も疑わない傾向があり、それを憂いております。活字の力というのは大きいですね。

  12. >それらの人件費等を高度経済成長期に「祭壇競争」になったとき、「祭壇料」に組み入れました。その当時の「消費者」は「祭壇」というモノにこだわったからです。
    お金に余裕を持てば、親の葬儀を立派にしてあげたい、という傾向をもっても不思議ではありません。流行の祭壇にこだわるのも分かります。しかし、それと祭壇料に人件費を組み込みサービス料と不明確にすることの必然性・合理性があったのか?
    理解しにくいです。消費者にお金があったので、許容性のみが認められていたのでは…と、思ったりします。
    >近年の新規参入組には「消費者」としての面のみ見ているように思えるのは残念です。
    東京都のアンケートが、消費者の立場での不満を表したものであったからでしょうか。従来軽視されていた「消費者」を前面に出しているようです。遺族=消費者、宗教者、葬送を見守る参列者などが様々な宗教を持ちながらの儀式ですから、一様に語れない難しさがあるかもしれません。
    >>元・葬儀社勤務さん
    豊富なご経験に感服します。
    >曲解されるのを覚悟で書きます。いい葬儀なんてありません。満足する葬儀なんてないのです。
    この言葉だけを見るともしかしたら全くその通りかもしれません。送る側にすれば、葬儀はいつも後悔だけが残るのかもしれません。
    もっとしてやれることはなかったのか、など。
    しかし、葬儀に関するアンケートでは、やはり思ったより豪華になりすぎたなどお金に関することが多く、十分具体的でした。(なお、これにはお布施なども入っているかと思います)
    葬儀後でもあり、案外冷静なものです。
    上記、上の後悔と下の後悔とは分けられることができると思っています。
    >先入観なく考えてみてください。大切な家族が亡くなった心痛の中で、予定になかったお金と時間と労力を使う催しに満足なんてするわけがありません。
    確かに、現役の葬儀社さんたちの大変なところだと思います。
    アンケートに表れない、2割の方たちを増やして行くのが大変な所以だと思うのです。

  13. 週刊ダイヤモンド
    「安心できる葬儀!」について
    遅れながら記事を読みました。確かに葬儀社や互助会の事について詳しく取材をしていると思いました。実際、遠からず、近からず…業界関係者の方は読んでいて「当たってる…」と思われた方々もいると思います。私もその一人です。
    ただ皆さんがコメントしているように、葬儀業界全てに言えることか?となると話は別のように思います。
    「消費者の葬儀に対して求めるもの=料金」という図式は短絡的過ぎですし、世の中の事全てに料金のことは言えます。葬儀の料金は何が基準で高い安いが決まるのでしょう?同業他社と比べて高い安いが決まるのでしょうか?深夜の勤務、人でしかなしえない業務にそんなに安価な料金を望むのでしょうか?極端な話ですが、そうなると葬儀の役割、意義は必要ないんじゃないでしょうか?苦しみながら別れる間もなく、故人の生前の功績も讃えず、柩に入れたら火葬するだけの事を消費者は望んでいるでしょうか?
    葬儀業界の悪しき習慣は捨てねばなりませんが、それを見極めるのも消費者のハズです。それでもプライスに偏った記事には抵抗が有ります。とても残念です。

  14. こんにちは。はじめまして。
    編集長様が、60代父を持つ葬儀社の三代目です。
    編集長の今回のブログを見て、涙が止まらなくなりました。
    子供のころから受けてきた葬儀社に対する偏見。
    しかし、父と母が
    「世の中でもっとも、尊い仕事をさせて頂いている。」
    という教えから、私もその職につきました。
    週間ダイヤモンドさんが葬儀社がさも悪質でぼろ儲けしているような、事を書いていらっしゃいます。
    しかし、私の父も母も15年モノの国産車に乗るなど、決して贅沢な暮らしをしている訳ではありません。
    しかし、従業員の子供達には葬儀社の子供だからといって、道を断たれないように、彼らが受けさせたい教育を受けるだけの給料は差し上げたと思っています。
    確かにモノの値段だけ言ったら棺の値段なんて、知れているかもしれませんが、目に見えないサービスを日々努力して行っています。
    世の中の方が週間ダイヤモンドを読んで、すべてが悪徳業者だと思わないようになって欲しいと思います。
    ただでさえ、葬儀社は3kと呼ばれる仕事で、世間の皆さんが表面だけをみて、いい給料を与えられなくなったら、どんどんこの業界から良い人材がいなくなってしまいます。
    是非、 編集長様のご意見が広いところで、世間の皆様に届く事をお祈りしております。

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