あるがまま…は難しい

浜田晋さんという精神医科医がいた。
1926年の大正生まれ、2010年に亡くなっている。
あの学生時代ブントの書記長で、その後精神科医で沖縄等で地域治療に優れた働きをした島成郎(1930~2000)が「師」と呼んだ人。
以前気に留めていたが、本もできたので、社会復帰に備えて、ネットのリンクを見直していたら真宗大谷派の広報誌『サンガ』に掲載された浜田さんのバックナンバーが出てきた。
http://www.prati.info/c/back/oiru/index.html

こりゃ凄い人だ。
この人の言ったこと、今でもあてはまる。

今はやりの「介護保険」(厚生省はゴールドプランと呼ぶ。また金だ)だって、未来はないと私は思っている。

もう今では動き出している「介護保険」、日本の超高齢社会に備えたプログラムで、65歳となった今、私も保険金の支払い請求がきたり無縁ではないのだが、このプログラムが始まる前にこう言い切った人は凄い。

あのとき大学も専門学校も社会福祉科は人気だった。だが今は志望する学生がいない。
熱い志をもって現場に入っていった人たちは、腰を痛めたり、中途退職で欠員が出ても、人員補充がされず労働環境が悪化した。
父が介護を受けたとき、若い男性の介護士の仕事に父も大喜びだったし、家族も助かった。だが、この給料では家庭ももてない、と仕事への熱意はあるが、厳しい生活環境で転職する人が相次いでいる。

まもなく98歳になる母親(もう子である私も定かに認識してくれないが)が福岡県で特別養護老人ホームにお世話になっている。その広々とした空間、職員(若い)のプロとしての自在な動き、負担を感じさせない笑顔、大声、俊敏な動作、見ていてほれぼれする。
だがその施設の定員は50名、待機者は350人を超えるという。運がよかった、と感謝する。しかし、必要な人に介護の手が回っていない。

私が入院をした時、その病棟には認知症の高齢者が数人入っていた。夜不安になると看護師を呼ぶベルを押す。
私は入院中は導眠剤の服用を止められていたので、夜の長さも、病棟で起こっていることも音でわかる。
入院患者を扱う夜勤勤務の看護師もプロであった。必要な筋肉がついていて力強い。そのプロにも充分な報酬はない。

しかし、このままでは社会保障は劣化する。必要な介護や看護を受けられない高齢者難民が増える。一部のプロの犠牲の上に成り立つシステムは崩壊するだろう。

民主党内の小沢グループとかが「経済成長が10%の時代なら消費税アップも考えられるが」と言っていたが、おそろしく愚かだ。いまでも充分ではないのに、それさえ維持できなくなるのを放置すれば、次にくるのは棄民だ。
自公が無策で今日を招いたのに反省の欠片もない。単なる「菅嫌悪」だけで、政治的責任を放棄して政局だけを有利にしようと画策している。

マスコミも無責任だ。根拠を示さず「菅はダメ」としか言わない政治評論家の言を大きく紹介するだけ。
もうアプリオリに「菅ではダメ」というだけ。こんな奴等が「政治評論家」と言われる実態。せめてどこが悪いということくらい書けよ。
根拠、対案を示さないだけの「菅はダメ」の大合唱を、そのまま紹介すればいいというものではないだろう。
あれだけ「菅嫌い」を報道すれば世論調査で「菅不支持」が増えるのはあたりまえ。情報は操作されやすいので危険だ。

うがった見方をすれば菅が総理であると原発政策が変わるのを嫌がる利害関係者が評論家にもマスコミにも議員にも働きかけ、必要な施策の足を引っ張っているさまが透けて見える。
菅も人間だから間違いや稚拙さはあるだろう。でも根拠を示さず「菅降ろし」の合唱はファッショと違う?

政策論争になっていないことを報じて図に乗るマスコミも阿呆だ。東電からの広告料や便宜に応えているが如きだ。
菅を降ろすのはいい、ではどうするのか、その政策は何だ。菅個人への好悪は別だ。論理を失った政局は全く無意味で頽廃だ。

浜田さんに話を戻す。

この人の「呆けと痴呆の間」はとてもいい。この方は「自分が呆ける」ことも想定して書いている。だから心が優しい(「呆け、ボケとは言わない」、という言葉狩りはちょっと引っ込んでいてもらおう)。
その中に

痴呆性老人があるがままに生きることが、「正常人」や「社会」にとって不都合なだけである。

という1節がある。
そうだ、と思った。

倫理、知識、他人の目、常識から解放されるなら、これも悪くない。ただ周囲は大変であるが。

別なところである高齢者の話を紹介している。

「犬や猫をこうても、責任ができる。はや、鳥かごに鳥をこうても、かごを洗うたり、餌や水のことを心配したり、責任があらあね。自然の鳥なら私は責任をとらんでもええがよ。それが1番。80歳すぎたらせきにんをもたれんぞね」

私は65歳であるが、自分がかつてはできたものが、できなくなっていることに気づく。
今度の『葬儀概論』の仕事だってそうだ。3カ月遅れでもできたのは周囲が「放っておけない」、と懸命にサポートしてくれたからだ。

常々私は「80歳を過ぎたら自分に責任を負えない」と言っている。65歳にして責任を負えなくなってしまっているが、努力、節制したからと未来の老後を築けるものではない。
父と母を見ていてつくずくとそう思う。

島さん、浜田さんはいい死に方をした。でもこれは偶々であって、本人の偉さでも全くない。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「あるがまま…は難しい」への1件のフィードバック

  1. 痴呆性老人があるがままに生きることが、「正常人」や「社会」にとって不都合なだけである…..そうですね。
    4日に父が逝きました。一緒に生活をしていた母親と出戻り(失礼!)の次女の面会をうけ、「また来るね!」「バイバイ」って別れて、自宅に到着する約20分後に心肺停止の知らせを受け、夢でも見ているような気持ちで病院に向かった、母と妹。私にも同じような連絡が携帯に・・・。
    2日前に面会に訪れ、曾孫の知らせをしたばかりだったのに・・。何年か前、仕事柄、葬儀の話になり、誰にしらせる?とか聞くと「わしの葬儀は、兄貴の葬儀で終わった。誰にも知らさんでもええ!」っていう話でした。そのつど、そのつどが最後かも・・ 『いとまごい』っていうんです・・うちの田舎では・・・。そんな気持ちで会っていたので多少の心身的な余裕はあったつもりだったんですが・・・。
    頭ははっきりしているのですが、体が動かない。
    いろんな、父との時間が頭の中にかけめぐり・・・。でも・・脳出血で入院し、奇跡的に復活して、わがままを通して自宅で療養し、力つきまた・・入院・・。枕元で・・もう、そんなに頑張らなくても・・楽になってエエんやから・・。っておでこに手をのせ・・ひたすらお念仏  かえって顔を見るとなんとも穏やかな顔で・・・。ああ、わかってくれたんやな、きこえたんやなぁて・・なんとも  喪失感がすごいな。 また父におそわった。
    もう一度、父と、母の間に子として生まれたい。
    これは先生に聞いて頂きたかったことで、掲載は望みません。まだまだ、学んでいければなぁ・・
    春は はな  夏ほととぎす 秋はつき 冬ゆきさえてすずしかりけり  今年のお盆は初盆だな・・。
    umezoさん
    お父さまのこと、お悔やみ申し上げます。しばらくは私自身で受け止めようと公開を控えました。
    私も先に父を送りましたが、年齢的にも何も不満はないのすが、実際に死亡した、となると感情のコントロールがきかない状態になりました。
    自分の確実な現在の一部ですから、これを奪い取られる感じでした。

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