暑い日々 憂鬱な日々

暑い、湿度が高い。
これは室内にいることが多い私でさえこたえるのだから、病気で体力を奪われた人、また高齢者は温度調節機能が衰えているから大変であろう。

『葬儀概論 増補三訂版』で体力を使い果たしたので、グダグダになっている。
そのなかで短い原稿のいくつかはやっと書いている。
現在書いているのは現在進行形のものばかり、過去の焼き直しはしていない。大体がそういう状況ではないのだ。
ここで紡ぐ文章自体が問われている。

このところの「高濃度の放射性セシウムを含む稲わらを与えられ出荷された肉牛が各地で消費されている」という問題は憂鬱だ。このままではフクシマは滅びる。
いかにも「生産者、流通業者が悪い」的論調が見え隠れしている。
生産者が取材で答えていたが「私たちも被害者」という声を重く聞く。

新聞の後ろに
厚生労働省は『東京都や山形県で見つかったレベルの牛肉なら、仮に一度食べても健康上の問題は考えにくい」ろしている。」(毎日7月16日)
と書き添えてあるが、何か気にいらない。

これからこういう記事の冒頭で「東電の福島第一原子力発電所事故で東電が放出した高濃度の放射性物質を原因とする」と東電に責任があることを一々明記すべきだろう。

原発1ヵ所の事故が民間大会社でさせ負担が不可能な経済的損失を招き、今県さえ立ち行き困難にさせられている。10年以内に日本のどこかでまた同様の原発事故が起きたら節電どころではない。
金の問題だけではない。暮らしを破滅させている。
もっとリアルに人々の暮らしを考えないといけない。

震災はどこも終わっていないではないか。

震災が起きた時、被災地は雪であった。今は夏、しかも暑い夏。
行方不明の遺体が今でも少しずつ見つかっている。また、いったん仮埋葬した柩が掘り返され、納棺し直し、改めて火葬に付されている。どういう状態かリアルに考えてみたらいい。
怖いと言って触らないで済ませられる人間が何を言っても無効だと思う。こうした遺体を手厚く扱っている人々がいる、ということを片時も忘れてはいけないだろう。
どこに震災は終わっているのか。

過去、現在を見ずして未来は語れないだろう。
こうした死者や犯罪者扱いされ続けている生産者の想いを忘れて、「元気」も「夢」も「希望」もないだろう。
過去を忘れた猛進が危険極まりないこと、それは高度経済成長がもった脆さと危険であった。
高度経済成長を称え、夢見る人間は、その裏に張り付き、その後の日本社会に深く影響を与えた「負」の部分を見なければならない。

島田裕巳さんが2匹目のどじょうを狙ってたて続けに出しているが、彼の浅薄さがどんどん出るだけ、反論する価値もない。私が一々書いていないのはそうした理由だけ。
死についてきちんと考察しない冠婚葬祭の本や雑誌はまったく意味をもたない。
阪神・淡路大震災は日本人の薄っぺらな幸福感を変える、死生観を変える、と思っていた。でも5年くらいしかもたなかった。

これから東北に1泊予定で出かけるが、話し合うために行く。取材でもない。だが、新幹線は混むだろうな。
こんな催しがあるからだ。
東北六魂祭は、震災からの復興を願って今回、初めて行われるイベントです。東北の6つの県の「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「盛岡さんさ踊り」「山形花笠まつり」「仙台七夕まつり」「福島わらじまつり」が一堂に集まり、16日と17日の2日間、仙台市の大通りでパレードを行います。」(7月16日NHK)

久しぶりの更新となった。
忙しい、めげる、とブログはどうしても犠牲になる。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/