今朝の青梅街道は空いていた。
おそらくお休みがきょうからの人が多いためであろう。
最も多いのが12~16日というパターン。
なかには11~21日までの長期も少なくないとか。
ラジオの渋滞情報を聞くと、下りがどこでも混んでいる様子。
今年はお盆帰省の人が多いらしい。
東日本大震災があり、どこでいつ何が起こるかわからないので、会えるときに家族で顔を合わせておきたい、ということなのか。
回答には「お墓参り」がけっこう多い。
お墓は太平洋岸では痕跡わずかに残るほど破壊された墓地も多いとか。
内陸では地震による墓石の転倒が多い。
田舎には高齢者の親がいるだけ、力仕事は年々難しくなっている。
お墓の整理は帰省した子や孫の仕事になるのだろう。
地方で「お墓」と言えば、だいたいが寺のお墓(寺院境内墓地)である。この時期の田舎の墓地は賑わう。
これは日本人が地元を思い、家や高齢の親を思う気持ちが強い例証として語られる。
一方、葬送の世界では個人化の流れが急である。
その中心になっているのが地方出身者である。
東京はざっと9割が地方出身者で占める特異な街である。
それが「孤族」を生む背景の一つ。
この2つが同居している、あるいは局面で顔を変えるのが東京という街である。
東京では3代続く家は珍しい。
3代東京在住者は「東京人」という顔をしている。
一方地方に行くと、「旧東京在住者」が多い。
「大学は東京」「最初は東京で勤めた」人が多い。
こちらより渋谷に詳しい人がわんさかいる。
飲み屋に連れていかれると「先月まで赤坂にいた」キレイに化粧した女性が前に立つことが少なくない。
私自身、18歳で東京に出てきた東北人である。東京に出て47年。息子は地元が杉並だと思っている。
東京は一時的滞留者、もう田舎には戻れない者、その戻る気になれない者、いずれは地方に帰ることを考えている者、いずれにしても東京への帰属意識は低い。
東京オリンピックは高度経済成長の最中であり、皆東京への憧れを抱えていたから、多くの人の夢を託す行事となった。
今、石原知事が「東京オリンピック」を唱えても、夢を失った東京都民には熱意がない。むしろ迷惑という意識のほうが強いのではないだろうか。
話題を変える。
毎日新聞8月11日夕刊の文化欄に加藤典洋が「疑問だらけの菅降ろし、反対派の「凸」が見えない」は久々のヒットである。
自民党の政治家が言うのは自由だが、メディア報道のヒステリックな感情論には正直呆れ果てていたものだから痛快である。
反菅の政治家もメディアの反菅論者たちはいったい何をしたいのか、何を守ろうとしているのか?
メディアが揃って反菅感情による煽りをすれば世論調査も菅支持が20%未満にできるというのは怖くはないか?
無論理の感情論がマスメディアを支配している状況ほど危険なものはない。これは現代のファッシズムであるように思う。
マスコミが反菅を言うなら理屈で言え。感情論で言うな。
菅のメッセージは明らかである。「脱原発」を後から「個人的意見」と言ったのは、残念ながら現実であるからだ。
でも、個人的意見にせよ言い切ったことをよしとする。私はあのとき菅は確信犯として言ったと思っていた。後から「個人的意見」と言わなければならない状況を理解していて敢えて言ったのだと思っている。マスメディアはもし批判するなら、手続きや独走を批判するのではなく、マスメディア自身の意見を言わなければならなかった。そうした状況は皆共有していたはずであるからだ。
総理の立場にあるものが、たとえ個人的意見にせよ、脱原発を言った意味は大きい。
後世の歴史家は今回の反菅鳴動をどう分析するだろうか。
菅に欠陥がないと言うのではない。
そんな完璧な政治家なんてそもそもいない。
いずれにせよ「原発安全神話」は瓦解した。
安全神話が作られたものであったことが明らかになった。
そんなばかげた仕組みは他にもあるだろう。
そしてマスコミは広告料の対価として安全神話作りに加担してきた。
これからの政治家は、いやおうなく菅後を生きなければならない。
菅前には戻れないのだ。
政財界とマスメディアの貧困で危険な状況をあぶりだしたという意味で、菅政権の意味は充分にあった。
昨日、
経済産業省「安心と信頼のある『ライフエンディング・ステージ』の創出に向けて~新たな『絆』と生活に寄り添う『ライフエンディング産業』の構築~」という長いタイトルの報告書が8月10日付けで公表になった。
http://www.meti.go.jp/press/2011/08/20110810002/20110810002.html
と書いた。
この概要や最初の部分は、未成熟で充分な議論がされた結果ではない。経済産業省としては超高齢社会にあって新たな産業の創出、という位置づけをしたかったようだが、ことはそれほど簡単ではない、ことは後を読んでもらえば少し理解していただけるだろう。
これは問題提起のようなものである。「始まりの前の準備のスタート」というところで、皆から意見を求めるきっかけのようなもの、と理解してくれればうれしい。
自分が関わった事実を隠したくないから言ったし、一定の責任も認めている。
私が関わった意図は昨日書いたことで少しは理解していただけるだろうから繰り返さない。メンバー構成もおかしい。私が入っているくらいだから。
この研究会に一つの意思を求められてもそれは違う、と言わざるを得ない。
言い訳はそのくらいにしておく。それが「結論を求められても困る」と書いた理由だ。
但し、これからのことについてはコンテキストを今までもちえなかったのに、何とかそれらしいものを作りたいという気持ちがあり、そのあたりでは議論している。
批判はいいが、頭だけ見て言うのではなく、時間があるときでいいから中身を見て批判してくれ、というのが私の願い。ほとんどの議論は中身に費やされたのだから。
なお図に「宗教関係者」があるのは、中身を見てくれればわかると思うが、極めて限定的にであり、しかし完全に除外するのもおかしい、という苦心の産物である。
図だけがあるのではなく、記述もあることを無視しないでほしい。これの扱いには相当注意した。そこいらは私の役割だと思ったからだ。
あの図には「何で俺たちが入っていないんだ」と怒る人もいるだろうし、逆に「相談もなく勝手に入れられた」と怒る人もいるだろう。
自分の著書にはいちいち答えられるが(誤りを認めることでも)、こういう研究会の報告書というのは正直微妙なところがある。
「全部に責任をもてなければ下りれば」という意見もあるだろう。
でも私は降りずに、少しは自分の意見を反映させる道を選んだ、と言うしかない。こういう共同作業は今後何かを進める際に避け得ないことだからだ。
でも小さなテーブルでくっつくようにして長時間何回も議論したことについては私としてもいい経験になった。私の煩い注文に根気よく耳を傾けてくれた担当者たちには感謝さえしている。
どうも最近、私は自分から敵作りをしているような感じがする。ま、先が短いのでいいか。