12月7日17時18分

昨日(12月7日)17時18分
ゆっくりと揺れ出し、だんだん強くなり最後は大きく長い横揺れ。
1分くらいだというから揺れの長さは11年3月11日14時46分の巨大地震の長さの半分以下。
M7.3は3.11のM9.0の200分の1とかなり小さかった、とテレビで専門家が解説していた。
おそらく多くの人が思っただろうが、その揺れ方は3.11を確実に思い起こすものであった。
フラッシュバックした人はかなりいるだろう。

私の本棚は3.11の痕跡をいまだ残している。
地震ですっかり本が落ちた後、緊急に適当に本棚に縦横ばらばらに入れたまま。
きのうはそれでも10冊くらいは床に落ちた。

昨夕の地震は3.11の余震で、解説者は10年以内に三陸沖でM8クラスの地震が起こる可能性がある、と言っていた。
「まだ続くのか!」と怒鳴りたい気分だが自然相手には空しい。

本日12月8日は日本軍の真珠湾攻撃等の一斉行動で太平洋戦争を開始した日である。
その前からすでに中国大陸での戦争は行われていたが、今度は米英相手の戦争である。
1945年の沖縄戦、東京大空襲、各地での玉砕戦、広島・長崎の原爆…日本が敗れ、攻撃され犠牲者となった記憶がたくさん語られるし、それは実に忌まわしい記憶なのだが、12月8日は終わりの見通しなく戦争を開始し、特に戦場となったアジアの国々に凄まじい犠牲を強いることになった日として記憶されていい。

1935年頃からだが、日本人は狂騒に巻き込まれていった。煽った人間も実はそれほど冷静に戦略を立てたわけではなく、軍、マスコミ、地域社会、教育、宗教、思想が大きな渦になって煽りあい、無謀な戦争にと突入した。

思想はその前に無残に敗北した。
敗北したならせめて沈黙すればよかったのに、己を守るために煽り手になった。
「身を守るために仕方がなかった」と言い訳し、自らも犠牲者面をした。

千万規模の犠牲者が出た傷みを放置したのだ。
せめて死者を思い、傷み、悼み、弔うべきである。
民間人、軍人、日本人だけではなく、アジアの国々の戦場となり暮らしを奪われ、死んだ人々も含め、時代の狂騒は一人ひとりがもつ物語を奪った。

せめて戦く感性を殺してはならない。

11年3月11日の記憶、そこで一瞬にしていのちが濁流に呑まれた人の記憶を忘れるのにはまだ早すぎる。
死者は常に忘却されてきた。戦争は10年で、約7千人の犠牲者を出したコウベも3年で忘れられてきた。ほんの一部の者を除いて。

死者を思うということは奪われたそれぞれの物語がある、ということを胸にしっかりと抱え込むことだ。そしていまなお傷ついていることを思うことだと思う。

何も戦争や大災害だけのことではない。
死者の記憶を忘却しての生は虚妄だと思うのだ。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/