青木新門さんの『それからの納棺夫日記』の発売日は2月15日らしいが、もう増刷がかかったという。
新門さんも心配していたが、僧侶をあれだけ批判しておいて、その反発はないだろうか、と私も思ったが、新門さんの周囲にいらっしゃる僧侶の方々はよくできている。
反発よりも同意する意見が多かったようだ。
「仏教タイムス』紙の1月30日号の巻頭は「歴史に学ぶ仏教と平和」と題する臨済宗妙心寺派管長の河野太通師の談話であった。
「平和活動の原点は何かとよく聞かれます。やはり戦争体験が大きい。結論から言うと、日本が戦争に突入する以前の平和な時、すでに戦争に対する罪が始まっていた。そして教団が歯止め役をなしえなかったことへの反省。そういう思いが私にものを言わせるんです。」
ここまで言い切る仏教教団の指導陣はそうはいない。
キリスト教団でも過去に戦争責任について大きな議論があった。
そして「戦争責任の告白」を「教会の務めからの逸脱」、ととらえる輩が今では牛耳っている。
情けない、と思う。
おそらく戦争協力した教団(ほとんどすべての宗教宗派の教団)の戦争責任について明言される僧侶の方は多いと思う。
私もよく知っている。
しかし、多くの僧侶は教団に期待することをやめている。
河野老師のことについて知ってはいたが、ここまで明言される方とは思わなかった。疎かった、と思った。
教団のトップにいる方、として最初から色眼鏡で見ていた、とつくづく反省。
こうした骨のある老師の努力によって妙心寺派宗議会での「非戦と平和の宣言文」(2001年9月)となって結実した。
老師はこれが「自浄作用」ではなくオーストリーの女性からの戦時宗門に対する質問状を契機としたことを残念がっておられるが、宣言にこぎつかれたことは大変勇気が必要だったろうと思う。
教団の過ちをはっきりさせずして、平和を説くことはできない、という覚悟はすべての宗教教団がする必要がある。
これは1臨済宗の問題ではない、と思う。
老師の談話を読みながら、日本キリスト教団議長在任中に大きな抵抗を受けながら第二次大戦中の日本キリスト教団の戦争責任の告白を発表した鈴木正久のことを思い出した。
発表は他の教団より早かったかもしれないが、鈴木正久の死後は、完璧に骨抜きされてしまっている現在の惨状を思う。
その意味では臨済宗も、河野老師が退任されるこれからがたいへんなのだと思う。