ブログを書けない理由

2か月に1回くらいしか更新できないでいます。

個人的には姉の死亡を引きずっています。

先日、仙台のいまは老健にいる叔母(89歳、父の弟の妻)、私の誕生から見届けている96歳で特養で生活している女性の2人を訪ねてきました。
従弟から叔母を訪ねたことへのお礼のメールがきて、それへの返事です。

〇〇さま
叔母さまにお会いできてうれしかったです。
きょうはしっかりされていました。
(注:日によって体調が著しく変わる、と聞いていました)

2年前母の納骨の際に、姉・祐子、兄夫妻、私夫妻がお宅にお邪魔したことを思い
だしていました。
あの時に比べると叔母さまはずいぶんと痩せて、小さくなられましたが、記憶も
しっかりとされていて安心いたしました。
姉の不在のことを報告することになり、何とも複雑な想いがしました。
〇〇さんが1日おきに透析されているとのこと、叔母さまも心配されていました。
2年前と同じで、叔母さまのあとはSさん、96歳に会いにうかがいました。
身体は弱まり、軽費から同じ園内の特養に場所を変えていましたが、頭はしっか
りとされていて、私の誕生に立ち会われたことを昨日のことのように話 してく
れていました。
お二人に姉がいなくなったことを伝える機会が2年後に来るとは信じられない想
いです。
〇〇さんも叔母さまもできるだけお元気でお過ごしください。
いまあるいのちは与えられたもので、自分たちの意思ではどうにもならないこと
です。
姉は私を看取ることになるものと、理由のない確信を抱いていました。
私も何故かそう思っていたのですが、現実は異なりました。
祐子は昨年5月の下旬にステージ4を宣告され、11か月、改めて濃密なきょうだ
い関係を築きました。
何せ兄はメール未体験者でしたが、3人でメールを交換するためにあっという
まに熟達しました。
理由はなく、5年は無理にしても3年くらいは生き延びてくれるものと。希望して
いましたが、11か月で終えました。
3日前に私が祐子を見舞った時は「あ~最期だ」と思いました。
これ以上は姉を傷つけることになる、と思いました。
兄は危篤を知らず、当日長男と一緒に姉のところに向かいました。
(姉の)息子からの「息を引き取った」との電話を伝えようとしたときは機上にいました。
Nさん(従弟で叔母の長男)には大学の新学期で忙しい時に無理に来ていただき、ありがとうござい
ました。
叔母さま、Sさんはわれわれきょうだいにとっては特別な方でありましたか
ら、本日慌ただしくあったのですが、お二人にお会いできたことは、私に とっ
て特別な時間でした。
ありがとうございました。

書いている、というより書いたメールをアップしているだけの作業であるが。
正直仕事はたてこんではいるのだが、少し大きな仕事をするには精神的調子が今一つ、という状態が続いています。
選んで仕事をしているというより、より圧力が大きく、すぐ取り組める仕事を優先し、いちばんしんどい仕事が後回しになる、という悪循環に陥っています。

こうした精神状況は、今起こったことでもなし、約10年間、時々顔を出すので、短時間、たとえば2~3日のことであれば、対処は薬を飲むなり慣れているのですが、長期に及ぶとどうにもなりません。
ベッドに寝ているわけではなし、外見はすこぶる正常ですので、血圧も正常であるし、ご心配なく。
但し、仕事の関係者の皆様には原稿の遅延、ということで(もともと早いわけではないのですが)ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、ご理解ください。

日記のようなものならいいのですが、原稿も書けていないのにブログだけ書く、というのもブログ更新が遅れる原因です。
書きたいことはたくさんあるので、長い目で見てくだされば、と思います。

仏教関係者の方は『中外日報』での5回連載コラムがおそらく来週あたりから始まります。もうすでにすべての原稿は送付済みですので、購読されているなら読んでいただければと思います。






 

 
広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/