「0(ゼロ)葬」批判を書いた

今年の梅雨は「梅雨らしい梅雨」であった。
湿度が高く、いつ、どこに雨が降り出すかわからない、という局所的豪雨はあるし、はなはだ不快な毎日だった。

7月22日、きょうから梅雨明け、「夏」到来。
湿度さえ低ければ、いいのだが。

島田さんの「0葬」への批判を雑誌に書いた。
今週中にも送れるだろう。

島田さんの本が世の中をリードしているのではなく、彼の主張するような環境が生まれ、それを彼が書き、本が売れるという流れだ。

でも彼の提供してくれる話題は、いかにもマスコミが取り上げやすいので、『週刊ポスト』と『週刊現代』がすぐさま取り上げている。
ポストにしろ現代にしても、そのテーマを取り上げるなら、もう少し掘り下げがあればいいのにそれがない。
「売れればいい」式の安易さである。

また批判するほうにしても、「儀式は大切だ」「伝統慣習の大切さ」ばかりの薄っぺらなもの。

マスコミといっても「風俗」的関心と変わっていない。
どんどん議論の水準が低下している感じだ。

95年くらいには「個」という問題を背景に話題となり、議論となった気がする。
今やなんでもあり、を背景としているので煮詰まらない。

どうも「終活」にしろ「0葬」にしても、
「これ以上要支援の高齢者が出ると生きている者が迷惑するので、迷惑かけないように死んでね」
…とでも言っているかのようだ。
それが「大往生」とか「自由意思」のような看板の下で言われるものだから質(たち)が悪い。

「高齢者だから大往生」、というのは高齢者ではない者の高齢者をおじょくった言い方に聞こえてしまう。
「終活」は、高齢者が周囲に迷惑をかけずに生きて、死んでね、…という脅迫観念の植え付けではないかしら、と思ってしまう。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/