墓、葬式は未だに偏見・差別の対象

昨日19時からジム。
1週間に1・2回、各約1時間では効果はまだ見られない。
ジムの気分の良さは、汗をたっぷり流し、シャワーを浴び、ついでに頭まで洗ってしまうことだ。
身体を動かす、それだけでいい気分だ。
机の前で、あーでもない・こうでもない、と頭が煮詰まるのよりずっといい。

昨日、walkingマシーンに乗りながらテレビのチャンナルをいじっていたら、フジテレビが「お墓・葬式100の疑問」という2時間番組をやっていた。
マシンを使いながら見ていると、不快感で胸一杯になった。

テレビ局は葬送については相変わらずのゲテ物扱いなのだ。
この世界はわかんないものがたくさんあって、世の中の常識とは違う世界だから教えてあげるね、…といってウソ800を並べている。

悪いのは坊さん、葬儀社、親戚…というのはもはや定番だ。
この世界もずいぶんと変わっているのに、出てくるのは依然としてみんな悪徳な奴ばかり。

葬儀社だけでなく僧侶も各2世たちは学校で虐めにあった経験をもつ人が多い。悪徳僧侶、悪徳葬儀社の子だという、いわれなき差別を受ける。

確かに中には「悪徳」と言われても仕方がない人もいる。
だが、それは役所職員、教師、医師、不動産業者にもいるではないか。
僧侶、葬儀社だけが、その職業にあるだけで、そうした社会的悪意に晒されなくてはならないのか。
これを「差別」「偏見」と言う。

その番組もまったくいい加減な作り方でしかない。
消費者が困る問題なら、それに即して番組を作ればいい。
「自動車の選び方」「いいレストランの見分け方」「どんなホテルに泊まりたい」
「時計の選び方―機能で選ぶか、デザインで選ぶか、価格か、ブランドか」というものと同じような視点でなぜ番組がつくれないのか。
最初から悪意、偏見でかかわっているとしか思えない。

こっけいなのは「マナー」である。
未だに重ね言葉等を禁句にしている。重ね言葉を忌むこと自体が偏見のなすわざである。
番組がこれを禁句とするのは妥当か、とトークするならわかるが、「マナー専門家」なる者が勝手に判断するのはいかがなものか。
嗤ったのは「ご愁傷さまです」の語尾をあいまいにするのが正しい、という説。お悔みの気持ちを相手にはっきり伝えないのがいい、ということになる。
お悔みの言葉に正しい言い方なぞ存在しない。まさに死者、遺族と会葬者の関係に基づくもので、マナーなど余計なものでしかない。

番組作成者に見識というものがない。
事柄の調査がいい加減である。
差別・偏見の世情に迎合している。

墓や葬式で俗信を知らないことが恥ずかしいことではない、
死、近親者の死者についてきちんと考えることが最も大切なことなのだ。

料金項目の説明も素人そのものである。
簡単に「450万円」もの請求書なんて出すものではない。
あまりに一般的事例とかけ離れている。
そんな金額払えない、と消費者が言っているので、葬儀単価は下がり、死亡者数が増えても市場は縮小しているのだ。

お盆前の季節番組であることはわかるが、安易な取り扱いはいい加減にしろ、と言いたい。
さすが最後までwalkingしながら観ているわけにはいかなかったが、不愉快さが胸に沈殿した。

きょうは広島に原爆投下69回目の日。

昨夜TBSラジオでアメリカのマンハッタン計画や日本の理研、仁科研究室等でも原爆研究をしていた話がされていた。
どうも兵器としての現実性は低かったようだが、そうした研究があったことは事実である。

福島原発事故を踏まえるなら、日本は被害者の視点だけで核兵器を論ずるべきではないように思う。
原子力発電所の計画がそもそも核兵器への転化がすぐ可能ということが、これを始めた正力等の脳裏に厳然とあった事実である。

きょうは、あの日のように暑い一日である。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/