3月の下旬からしばらくダウンしていた。
69歳で事務所に連泊。
初日に仕事を終えるはずだった。
だが夕方にはまだ目途すらたたず、朝の4時半にはついに頭が回らなくなった。
そこから家に帰る気力はもうない。
導眠剤を飲んで8時まで約4時間、机に座ったまま寝る。
翌日、9時から午後を目途に仕事を続ける。
ある程度目安が着いたが、完成には至らず。
23時に輪郭完成。後は整理。
これが滅法時間がかかる。
朝の4時を目安に進めたが完成はさらに遅れて6時半。
当日は朝から出かける予定があったので、自宅に戻り、シャワーを浴びて出かける。
その日眠れたのは帰途の新幹線の中。
そこまでは一種の躁状態にあったので、苦労したとはいえ一応仕事を終えることができたので
「まだまだやれるじゃないか」
と思った。
それが大きな間違いだった。
以降、事務所に出るのだが、頭がまったく回転しない。
午後になると凄まじい睡魔に襲われる。
そのうち背中、首が固まった状態。
それでも4日くらいで仕上げる予定の原稿を少しずつ進めるのだが、2週間経ってもあがらない。
いろいろまとまらないものだから4つくらいの方向から予定量の4倍くらい書いたのだが、どれも中途半端。
終わりがまったく見えない。
そのうち仕方がないので、エイヤとまた徹夜同然で力技で仕上げる。
この後、喘息にかかり、首はもう回らないし,背中が棒のようになり、ちょっと身体を動かすだけで悲鳴をあげる。
医者に行ったら、
「そんなことをして身体を壊さないのがおかしい。あたりまえ」
と嗤われる。
ようやく人間らしさを取り戻したのが4月の26日。
約1か月かかった。
改めて自分の身体の限界を知る。
仕事のやり方を変えないと、結局周囲に迷惑をかけ続けることになる。
つい先のことは
「できる」
と思ってしまうのだが、それはもはや願望、妄想だと思い知らされる。
どうも400字で30枚以上の原稿を書くことは無理になったようだ。
畏友小谷みどりさんに「今400字で計算する人なんていませんよ。碑文谷さんは古い」
と嗤われたので、今風に計算するとA4で10枚前後、12000~15000字程度となるが、これ以上を構想することは諦めなくてはならない。
(このところの小谷さんが書くこと、話すことは冴えていて、すごいな、と感嘆ばかり)
身体、頭が機能しなくなると、老人性短気になり、ときどき相手を選ばず怒り出すので、迷惑をかけっぱなしである。
あたられたほうはえらい迷惑である。
生活スタイルも変えなければ、と思う。
今までは面会は11時からで、午後からゆっくり仕事にかかる、としていたのだが、午後は睡魔に襲われるので、面会は午後にしようかと思う。
夜は少しはいいので、夕方から22時くらいを仕事時間にしようか、と思う。
それも毎日は無理。
どっちみち集中できる時間はそう長くない。
午前中はメールのチェックしながら小さい仕事を片付ける。
すぐやらないと忘れてしまう。
もう記憶力はゼロに等しい。
予定はiphoneで管理。
1日前、当日1時間前に通知するようにしている。
でもときどきiphoneを放っておくので、忘れることはしょっちゅう。
人間30代、40代、50代が仕事ができる時期なのだ、ということを痛感。
60代、それも末になったら生き方を変えるべきなのだろう。
同年代の友人の多くは隠退している。それは賢い選択なのだ。
24、25日、珍しく休日をとってドライブ。
これからはドライブや映画鑑賞に時間をつかおうと思った。
精神的にも1年前の姉の死がこたえている。
2年前の従妹の死と2年続いた。
親の死と同世代の死はやはり異なる。
自分が「いずれ死ぬ」ことはあたりまえのことなので、どうとは考えない。
しかし、同世代の近親者の死は根こそぎ自分を揺るがす出来事だ。
ラジオで難病患者である家族の介護の話で
「愛も絆もどっかへ行ってしまう」
と言っていた。
そうなんだろうな、と思う。
病、老、死…これらを愛や絆で語ることはやめないといけない。そうでないと、それこそ「愛」も「絆」も修復不可能なところに行ってしまうだろう。
ここで傷ついたら、ほんとうに辛い。
「愛」も「絆」も言葉としては美しいが、実に脆い。
それが成立しない状況で語られる「愛」や「絆」はもはや脅迫、凶器のようなものだ、と思う。
傷ついた者へ「癒し」や「ケア」を語ることは、その人がいかに真面目であっても嘘くさいと思ってしまう。
少し私がひねくれているからなのだろうか。
そんなアプローチで、傷ついた人が少しは楽になったりするんだろうか。
どうも違う、としか思えない。
これがビジネスになると、「この人たちは私の理解を超えた人」になる。
「癒し」とか言う人は、間違えなく、私より「いい人」たちである。
でも「いい人」にはなりきれない不良老人としては、なんか煩わしい感じがしてしょうがない。
妄言多謝