太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。
復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。
代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など。
この世代はそのほとんどが第一線に赴いた。
戦闘の第一線は若者である。戦争末期には40代の老兵も徴兵されたが、第一線を担ったのは20代の兵士であり、歴戦の30代であった。
「ラバウル」ば「パブア・ニューギニア領ニューブリテン島の都市の名前であるが、ドイツ統治の後豪州が統治していたが、1942(昭和17)年に日本軍が占領、この方面の一大拠点となった場所である。
21歳で召集された水木さんは陸軍のラバウル方面隊に所属、爆撃で左腕を失っている。
戦争体験も作品にしているが、水木さんの現地の人たちへの対応は,軍人としてより生活者としてのものであったようだ。多くの若い兵士たちが戦争に殉じたのと比べると特異なものであったと言ってよいだろう。
水木さんを追悼する番組の中で、コメントした人が、若い兵士たちにとっては戦争は「災害」のようなものだった、と言っているのを聞いて、思わず「?}と思った。
兵士たちが戦争を起こしたのではない。若い頑健な体力をもつがゆえに第一線に送られ、戦争を強いられた。
戦争初期には勝利の高揚もあったろうが、その多くは敗退戦であった。
当然第一線にいた若い兵士たちの犠牲が多かった。
「出征」という自由意思の形を取っていたが、それはほとんど自由意思によるものではなく、強制によってであり、どこに赴くか、どう行動するか、ほとんど選択の余地がないものであった。
軍隊生活はそうした強制もあり、人間の素がもろに出た、「非人間的」「暴力性」も人間ならではの地を露呈するものであった。
兵士たちは周囲の人間にそして自分に「人間」というものの裸の姿を見ざるを得なかった。また、軍隊生活は生活である側面もあたりまえにもっていた。
自分の隣りの人間が死に、自分が生き残る、そこには何の理由もない。
生と死を隔てるのが「運」という極めて根拠のないもであることを身をもって知った。
その元兵士たちのほとんどはあまり兵士時代の己の体験を語らず、死んでいった。
はじめまして。とある一介の葬儀スタッフです。
いつも貴重なご意見を参考にさせて頂いております。
水木さんの作品は幼少より愛読しており、ご逝去の報に驚きました。
確かに前線での戦争を実際に経験された方というのはあまり当時の事を話されないように思います。
要因は色々と想像するところではありますが、そもそもそんな極限状態を経験した事もない自分が軽々しく口にする事ではないかと思うので記述は避けます。
ただ、そのような意味で水木さんは貴重な前線体験の記憶を残してくれた表現者だったと思います。
おそらくもし日本が戦争になったら、自分は間違いなく当時の水木さんと同じ「名もない一兵卒」になると思うからです。
勿論当時と現代ではあらゆる状況は違いますが、人の命が軽視されるという戦争の根幹は変わらないと思います。
それは水木さんの作品を読むと、自分が体験していなくても強く感じられました。
前線で水木さんら兵士に玉砕と命じる士官と、内地で息子の危機を感じ涙を流しながら息子が生き延びる事を願う母親。
その命というものに対する姿勢の対比は、ユーモラスな画風にありながら読者に戦争の理不尽さを訴えかけているように思いました。
翻ってでは現在は命というものが尊重されているかというと、毎日のように悲痛な事件が起きています。
自己責任という言葉は、ともすると自身や他人の命を粗末に扱う理由になっているのではないかと思ってしまいます。
浅学な身ではその解決法は浮かびませんが、やはり命というものに対する教育をしっかり行う事が、誰もが尊厳を損なわない、穏やかな死を迎えられる社会を作る基礎になるかと考えます。
そうした教育に水木さんの作品がきっと役立つのではないかと思った次第です。
今回の記事を読ませて頂き、思った事を書かせて頂きました。
乱文失礼いたしました。
急に冷え込んできましたので、碑文谷先生もどうぞ御自愛下さいませ。