個のレベルから見た死と葬送(3)
基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
⑤夜中の電話
夜中に電話があるといまでもビクリとなる。
それは叔父の死であったり、親しい後輩の死であったり、夜中や明け方の電話は親しい者の死の通知と私の中では深く結びついているからだ。
親しい者が病床にあるときには、避けられればと思った死がついに到来したのか、と刃が胸を抉る想いがし、怯えた。
それが突然の死であったときには、呆然として現実感を失った。
「死者」とされた親しき者の顔がクローズアップされ、その図は常に笑顔で私に声をかけているものであるのはどうしてだろう。
夜または明け方、私は車に乗り込み、病院または遺族となりたての家族のもとへと急ぐ。
それが嘘であり、夢であることを願いながら。
死は誰にも必ず訪れるものとは知りながら、私は親しい者の死をどこかで偽りであってほしいと願っているのだ。
まだ微かに温もりを残した親しき者の手に触れ、顔に触れても私にはまだ現実感がない。
何か役立つ仕事を見つけ、黙々とその作業をこなす。
涙が出るのは決まって通夜の晩だ。
弔問客が帰り、家族がくたびれ果てて床に就いた後、独り柩を抱きながら滂沱するのだ。
大きな虚無に胸を塞がれながら。
⑥最期は眠るように
なぜかホッとしていた。
実母の死は悲しみが強い、と思っていたが、今、母が息を引き取ると、違っていた。
私は酷薄な人間なのだろうか。
看病、介護は、昨日までは苛烈、過酷なもののように感じていた。
正直、母を怨んだこともある。
自分の時間というものが、すっかり母に奪われているという被害者意識が支配していた。
この苛烈、過酷な日々が終わりなく続くものと考えていた。
だが、今、母を見つめ、そのまだ温かな身体を抱いていると、昨日までの日々が懐かしく、優しい気持ちで振り返ることができる。
母の表情は柔らかであった。
夫が「お義母さん、最近は目が優しくなっているよ」と言っていたが、優しいと感じる余裕が私にはなかった。
確かに、今、母の表情は安らかである。
私が介抱で、食事づくりであたふたとして気づかなかっただけだったのかもしれない。
そういえば、このところ母の常套句であった
「死にたくない」
という言葉を耳にしていない。
眠るように死ぬ、ということは本当にあることで、母がそういう最期を迎えることができたことを、私は幸せに思っていた。