「父」の最期、「兄」が死んだ日~個のレベルから見た死と葬送(2)

個のレベルから見た死と葬送(2)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。

③「父」の最期

昏昏と眠り続ける父を見守るだけであった。

父の
50代以降の人生は寂しかった。
結婚したばかりの若い息子が急逝。
認知症になった老母を独り看取り、長く連れ添った妻と離婚し、独り暮らし。
その元妻も急逝したがその葬式への参列は許されなかった。

父は、気はいいが、酒には溺れ、いわゆる「酒乱」だった。
格好を気にし、夢は語るが、実現する根気というものがなかった。

大手の商社に勤めていたが、先輩の甘言に乗せられ独立。
しかし世間の風は厳しく、借金を背負ったままその事業から撤退。
愛想尽かした妻が離婚したのはその時だった。


娘である私も早婚で失敗し、息子を連れて実家に戻っていたが、父母の離婚を機に母と同居。
父と縁を切った。
しかし、時折、父から電話がかかってきた。


同居した母が急逝、母の実家の手を借りて送った。
その後、私は再婚。
実直さだけが取り柄の、父とは反対の性格な夫だ。


その父が救急車で入院したと病院から連絡があり駆けつけた。
肉親と呼べるのは私だけ。


もう意識はなく、父母が一緒に暮らし健在だった時に登録していた尊厳死のリビングウィルが頭を過ぎった。
だが、なぜか実行に移せず、ひたすら見守るだけだった。


入院して一カ月後、父は息を引き取った。
娘である私が最期を看取ったことも知らずに。

④「兄」が死んだ日

あの日、兄が息を引き取った日から
年が経過した。

一周忌の通知は来ない。

嫁いだ身としては嫂にも、甥にも文句を言うことはできない。だが、切ない気持ちは抑えられない。
墓参りに行こう、と思ったが、兄の家族と出くわしたらいやなので止めた。

そうだ、兄の写真があった。

母に連れられ、二人して、目いっぱいのおしゃれをして写真屋さんで撮った、中学生の私と高校生の兄との二人での写真だ。

兄は、お洒落したといっても床屋さんに行っただけで、学生服だ。

兄はブスっとしていたがおそらく照れていたのだろう。
私はただはしゃいでいた。

その写真を飾り、ご飯を供えた。

兄が死んだ日、私には連絡がなかった。

翌日になって電話で甥から知らされた。

頭が真っ白になった。

そして受話器に向かって怒り始めていた。

あの時、父を亡くした甥に慰めの言葉一つかけられなかったことをいまは悔やむ。
だが、その時、私にはそれができなかった。

兄を強奪された想いでいっぱいだった。
通夜、葬式と私は不機嫌だった。
それが突然の死であったので、私は呆然として現実感覚を失っていた。

 




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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/