個のレベルから見た死と葬送(5)
基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
⑨友人の死
彼女が死んだらしい、と噂で聞いた。
先月まで元気だったのだから嘘ではないか、と信じられないでいた。
もし、噂がほんとうなら、彼女と私が大の親友であると知っている娘さんから何かの報告があるはずだし、単に噂だけで安否を確認するのも、と思った。
考えてみると連絡は全て彼女からだった。
私にはない積極性を彼女はもっていた。
数日後、彼女の娘さんの名前で手紙が届いた。
2週間前に脳溢血を起こし路上で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、すでに息はなかったこと。
あまりに急なことで、家族がどうしていいかわからなくなったこと。
彼女の友人・知人の誰にも連絡することなく、父(本人の夫)と二人だけで送ったこと。
父はまだ現実を受け入れられず、一日中呆然としていること。
でも本人と親しくしていた方々にはご報告する必要があると、娘の一存で手紙を書いたこと、が記されていた。
「やはり噂はほんとうだった」と悔いる気持ちと、「どうして知らせてくれなかったの」と訝る気持ち、そして彼女がほんとうに逝ってしまったのだ、という事実で身体が震えた。
噂を耳にしてすぐに直接連絡を取ろうとしなかったのは、私自身が彼女の死を怖れていたからだった。
同い年、45年の二人の歴史が閉じた。
⑩スーチャンの死
名前も人生も知られることなく、今年の冬を耐えられず、亡くなった人がいる。
彼は通称「スーチャン」と仲間から呼ばれた。
彼の姓が「須崎」「菅原」「住田」「須山」「吹田」であるのを示すのか、姓ではなく名の「数一」「末男」「澄夫」からきたのか誰も知らない。
ある人は、彼がよく「スッゴイ」と連発する癖から呼ばれるようになったのではないか、と推察していた。
だが、確かというわけではない。
通称の由来、本名はわからないが、その過去のおおよそは彼の話から聞いていた。
55歳と言っていた。
何でも東北から出稼ぎにきて、身体を悪くし働けなくなり、家に送る金がないため居ついたという過去。
雪国では冬は仕事ができず、家族の期待を受けて、東京に出稼ぎに出る男は多い。
彼の一家5人は彼の稼ぎに拠っていたのだ。
初めは順調で、子どもたちへの土産持参で正月に一時帰郷。
彼を待つ家族が温かく彼を迎え、暖炉の火がやわらかく一家を包んでいた。
だが彼自身が仕事を失ったとき、家族5人への責任は彼を苦しめ、家から遁走したのだ。
彼の着衣を調べ、いつも持参していたカバンを調べたが、彼自身および彼の家族に連なる情報は出てこなかった。
彼は家族を捨て、彼は家族や故郷から捨てられた。
「一ホームレスの死」と報じられた。
しかし、スーチャンは一人の固有の人格をもった人であったはずである。
その死が「不詳」とされていいのだろうか。