待合室での会話―個から見た死と葬送(15)

私の通っていた「精神科」が別館から本館の4階のつきあたりに移動する際に「メンタルヘルス科」と名前も変わった。

外科や内科は人も充満しているし、けっこう騒々しい。
看護師や医師も駆けずり回っている。

だが「メンタルヘルス科」がある一角はいつも静かだ。

移動して変わったのは、診察室への呼び出しが名前で呼ばれず、受付番号がポンという音で待合室の画面に表示されるようになったことだ。


隣の、腕に包帯を巻いて待っている女性は、父親とおぼしき男性と一緒だった。


「3度目だからな…」
と父親がぼそっと言う。

娘は
「心配かけてごめんなさい」
と小声で謝る。
「でも気がついたらやっていたの…」

父親
「しかたないさ。死にたくて、死のうとするわけがない。俺も覚悟を決めた。付き合うさ。何回でも」



「自分がどうかしている、ということはわかっているんだけれど…」


私にも経験があるからわかる。
周囲がまったく見えなくなるのだ。
死という穴蔵に吸い込まれていく感じなのだ。

死ぬという覚悟も意思もそこにはなかった。

谷川を覗いていた時、偶然そこに立ち会った人に声をかけられなかったら…
おそらく私は「自殺者」になっていただろう。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/