ブログでの発言は昨年秋、2016年10月より再開。
雑誌休刊と表現文化社および連帯保証人であった私の破産手続き開始を契機とするものでした。
読者の方々には多大な迷惑をおかけしました。
改めてお詫びをいたします。
この負はお金でお返しできませんが、これからの表現活動でお返ししていきたい、と思っています。
ブログの再開は、お詫びを兼ね、雑誌媒体での発言はできなくなりましたが、その埋め合わせを自分なりにしていこうというものでした。
長年友人の僧侶の方には「無料でなんてもったいない」とありがたい言葉をいただきましたが、表現を続けることが表現者の役目と考えています。
資産0と71でなった人間は今さらの事業は考えていません。
どれだけできるかわかりませんが、できる範囲での発言は、不定期となるかもしれませんが行っていきたいと考えています。
昨年10月に開始された破産手続きは、今年1月24日の東京地裁での債権者集会が債権者に公示されて、意見が求められ、会社と私は地裁から指名された管財人の管理の下に置かれてきました。
金融機関、印刷会社、読者の債権者からは、ありがたいことに異議の申し立てはありませんでした。
債権者集会は多数の債権者数から200人規模の会場が用意されました。
出席は葬儀社の方1名。異議ではなく、雑誌を評価いただき、ありがたい応援メッセージをいただきました。
債権者退場後、地裁は管財人の報告を了承、即時に会社の解散を決定。
26年を超えた表現文化社が正式に消滅しました。
その後、連帯保証人である私の破産、免責については管財人の報告を受け、管財人業務は当日をもって終結し、法的手続きはすべて終了。
開始から終了まで10分足らずでした。
1月31日付で私の免責通知を弁護士経由で受け取りました。
多くの皆様にご心配をおかけしましたので、以上、すべての法手続きが終結したことをご報告します。
文字通り、これからはフリーランスのジャーナリストとして、0からの再出発です。
ご理解、ご支援に対し心から感謝申し上げます。
1月の私の報告。
ショックだったのは、葬祭ディレクター技能審査協会が創設以来最も長く一緒に活動した小林一敏さん(サンメンバーズ副社長)が死去されたこと。
会社閉鎖することをメールした折り、心配してくださり「会おう」と言っていただき、落ち着いたらお会いする約束をしていました。
だが、小林さんは昨年10月末の検査で大腸がんが発見され、12月には入院されましたが、心臓が悪く手術しないまま一時退院。
ご自宅で療養されていました。
1月12日に再度入院、緩和ケア病棟に入られましたが、当日0時を回り13日の1時過ぎに息を引き取られました。
連絡いただき、埼玉県本庄市で12日に行われた密葬通夜、13日の密葬に出席、お顔を拝見し、お別れしました。
小林さんは私の1歳上、穏やかで芯の強い方でした。
私にとっては「戦友の死」という感じでした。
小林さんと長年ご一緒した葬祭ディレクター技能審査ですが、
『葬祭ディレクター技能審査20年史』
が1月20日ようやく完成しました。
昨年7月末に書き上げる予定が、諸事情から遅延し、主として11月以降に書いたものです。
この遅延で、関係者の方々にはご迷惑をおかけしました。
これで、この仕事に係わった責任に一つのけじめをつけた気がします。
私としては『全葬連50年史』『IFSAの20年』に続く主な年史の執筆となりました。
1月に刊行された『ソナエ』第15号2017年冬号
http://www.sankei-books.co.jp/sp/sonae/index.html
に「碑文谷創の終活に喝!」というコラムを書いています。
タイトルは
「人生は統計どおりにいくわけがない」
その他、新聞、雑誌へのコメント少々。
これからの企画の打ち合わせが2~3というところです。
ボチボチ年齢を考えながらやっていこうかな、と思っています。
以上、ご報告まで。