葬儀の「個人化」現象は1995年前後から明確になり、それから20年。
これが葬儀だけの問題ではなく、今日本社会に大きく進んでいる「個人化」という大きな問題の現象の一つである。
この問題に切り込んだ経産省の20代、30代の若手のレポート「不安な個人、立ちすくむ国家」が注目を浴びている。
これを報じた朝日の今朝(2017年6月13日)の記事
社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D4GVQK6DULFA01D.html?iref=comtop_8_05
社会保障「現役世代に冷たい」 経産省若手、異例の提言
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D4GVQK6DULFA01D.html?iref=comtop_8_05
経産省ホームページに掲載されている報告書本文は、元はパワーポイント資料なのだろう65ページに及ぶ。
探すのが面倒だからリンクしておく。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
私は昨日名古屋で話してきて、日本社会が戦後であっても
1955年 から始まる経済成長
1975年 頃から顕著になり総中流化
1991年のバブル崩壊を期にした
1995年 前後からの個人化、高齢化、不況の顕在化
2000年 頃からこの問題の顕在化
2008年 のリーマンショックでこの傾向が明確になったこと
こうした社会変化に葬送の世界が見事に照応している。
むしろ反映していない部分もある。これからそれが出てくるだろう。
多様化、個別化を真剣に考えなければいけない。
講演の一部で語ってきたところであった。
社会保障、子どもの貧困、保育所不足、単身化
ひいては
お一人様の死の急増
こういった問題に正面から取り組んだレポートだと思う。
葬儀であれ墓であれ、終活であれ、そこから落ちこぼれるむしろ大きな問題であれ、きちんと見るなら根本から考えなくてはならない。
小手先で流行を追ってはいけない。
その中で「今、人が死亡すること、死別」という大事な営みがどういう問題に晒されているのかきちんと考えなくてはならないと思う。
私は「死」「葬送」というジャンルで発言しているものだから、あえてこだわる。
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