葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②

 

①葬制

 

人が亡くなると葬儀が行われる。

ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。

この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。

この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。

さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。


「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。

 

②死の判定

 

近代以前、つまり近代医学が発達する前は、しばしば「宗教者が死の判定を行った」と記録されている。

これは日本のみならず欧米においてでもある。

「死」という事実は、戦場、災害とか,いかんしがたい場合を除いて、「誰かによって」認定される必要があった。

そこで認定されることによって、死は公認され、葬の過程に進むことが可能となった。

 

近代以降には、つまり近代医学が確立することにより、「死は医師により判定されるもの」となった。

 

その後、人工呼吸器ができる前までは、心臓死によって死は判定されたが、人工呼吸器ができることによって脳死状態になっても心臓が動き続けるという、「脳死」と「心臓死」の乖離が生じ、脳死者からの臓器移植が可能となった。

 

各国とも心臓死について特に定めることがないが、脳死については法律でその判定法を定めているところが多い。

 

近親者はその死を看取る。

 

③遺体処理

 

遺体を土葬(埋葬)、火葬、風葬、天葬(鳥葬)等して葬ること。

「葬法」と言う。


日本では、2015年の火葬率は99.986%(死胎を除く。土葬は総死亡約130万のうちわずか185に過ぎない)となっている。
火葬率は、1960年代のバチカン公会議でローマ・カトリックが火葬容認に転じて以降、欧米でも火葬率が急上昇している。

また、中国、韓国では国策として火葬を促進している。

そうしたなかにあっても日本の火葬率は統計上100%で、世界一である。

 

④文化・宗教的処理

 

葬式等を行い、死者と別れの時をもち、死者を送別すること。

 

⑤社会的処理

 

死を社会的に告知し、除籍等の事務処理を行うこと。

 

⑥心理的処理

 

近親者の死はしばしば近親者に死別の悲嘆(グリーフgrief)をもたらす。

それはそれぞれ固有のものである。

 

近親者自らなすグリーフワーク(喪の作業)を大切にしたり、この近親者に対して心のケアを行ったり、死者を追悼するための行事(法事等)を営むこと。

 

ここで注意することは近親者自身のなす喪の仕事grief workが大切なのであり、支援careは、その環境をよりよく用意する、近親者のなす喪の仕事grief workを邪魔しないことである。

 

このことは、人間が身体的存在だけではなしに、精神的な存在でもあり、社会的な存在でもあることを示している。

また、人間が関係する人間関係において、その相手に悲嘆(グリーフ)をもたらす、関係存在でもあることを示している。

 

ある人は「人間が死ぬと単に肉体の死という物理的な死だけでは終わらない。文化的な死、社会的な死としてもあるのである。」と述べている。

つまりはそれが「人間が死ぬと葬儀をする」という意味である。

肉体が死ぬという物理的な死があるだけならば、遺体処理は残るにしても、葬儀は必要ない。

 

葬制の中の遺体処理にしても、単に物理的に死体を処理するのではない。

葬制全体の位置づけの中に、葬制という脈絡の中に置かれていると言うことができる。

 


「死」の概念

 

ここで簡単に「死」の概念をまとめておく。

 

①いのちがなくなること

 

古代日本人は「身体から霊魂が遊離してしまうこと」と理解した。

 

現代の死は医師が判定。
医学的死とは全細胞死ではなく、「有機的全体としての個体として生命活動がやんだと判断されること」を言う。

 

従来の心臓死のほか、脳死がある。

改正・臓器移植法が2010年7月17日施行され、「本人が生前拒否意思を表明していないケースでは、縁者がいないケースまたは遺族がいても遺族がこれを書面により承諾するときに脳死判定、臓器移植を行うことができる」とされた。

15歳以上という年齢制限もなくなった。

 

尊厳死・延命治療の中止については、本人の意思、家族の意思の確認が求められる。

 

病気や事故等でいのちにかかわる状態で本人が意思表示できない時に備え、a.治療方法、b.栄養補給方法、c.心停止の際の心肺蘇生の希望の有無等を「事前指定書(LMD レット・ミー・ディサイドlet me decide 医療の自己決定)」に記入し、かかりつけ医師と代理人が署名する。

カナダで80年代に創唱され、日本での運動は1994年から始まっている。

 

遺体処理の種類


「遺体処理」とは、土葬、火葬、風葬、水葬などのことである。

遺体処理が必要なのは、死後の身体は腐敗するからである。

 

腐敗する遺体をそのままにしておくことはできないので、何らかの遺体処理が必要になる。

 

遺体処理の方法を「葬法」と言う。

古代エジプトにおいては王等の権力者の際にはミイラ化が行われた。

 

南北戦争以降、エンバーミングが行われることで、腐敗の進行をほぼ停止させることが可能となったが、レーニン、毛沢東、金日成といった特定の政治的権威者以外は、永久保存されていない。


一般には、エンバーミングしたとはいえ、しかるべき葬儀が行われた後には埋葬または火葬されている。


日本ではあまりの長期にわたる遺体の保全は、技術的に可能であっても、国民の宗教感情がそれを認めるところにはきていない。

 

したがって死体遺棄罪(刑法190条)の嫌疑を避けるためにもIFSAでは、四十九日という葬送習俗を参考に、50日規定を設けている。


ここで、主な葬法を解説しておこう。


①土葬


法律的には「埋葬」と言われる土葬は、古来より世界各国で行われている遺体処理の最も一般的な方法である。

 

土を掘り、そこに遺体を埋める。遺体を布で包んだり、棺に入れることが多い。


②火葬


遺体を火で焼く処理を言う。

 

古来から行われているが、人工的に遺体を解体する方法なので、必ずしも一般化はされなかった。

イスラム教を信じる人たちは今なお火葬を忌避している。


日本では,火葬は仏教の伝来と軌を一にして普及し(考古学的には5世紀に既に火葬の痕跡が発見されている)、近世に浄土真宗系門徒の多い北陸地方等で普及した。

また江戸や大阪といった大都市においても普及した。

 

しかし、本格的な普及は、明治末期、政府が当時のコレラの大流行を受け、公衆衛生上の理由により促進してからである。


1960
年に日本では火葬率が6割を超え、現在(2015年)では統計上100%という世界一の火葬先進国である。


60
年代のバチカン公会議でカトリックが火葬を容認したことも影響し、世界的にも普及の兆しがあり、その意味では火葬は近代的な葬法と言うことができる。

 


東日本大震災の仮埋葬

 

2011年の311東日本大震災において、遺体の公衆衛生上の処置として2年間を期限として宮城県で約2千体の仮埋葬が行われた。

(2年というのは骨化して安定すると考えられた期間である。)

しかし、東京都が火葬を受け入れる等の火葬可能環境が生まれると、遺族等が仮埋葬された柩の掘り起こし行動をとり、やむなく行政は仮埋葬された遺体を201111月までにそのほとんどを掘り起こし、火葬した。

 

このことは、もはや日本では「懇ろな葬り」とは火葬のことである、という認識が徹底されていることを示した。


近代以降でも明治三陸地震、昭和三陸地震では大きな墓穴を掘り、個人の識別なく集団埋葬が行われ、大正時代の関東大震災では大きな穴に遺体を投げ込み、野焼きされた。


今回の仮埋葬は一部納体袋のままであったが、多くは納棺したうえで、個人識別を明らかにして仮埋葬された。

2年後の掘り起しを想定したからである。

今回はほとんどの柩が掘り起こされたが、木棺は火葬を前提として軽く、燃えやすく、ベニヤを貼り合わせたもの(フラッシュ棺)であったために1メートル以上の土の圧力で潰れ、横も湿気に弱く乱雑な状態となった。

1カ月後とはいえ、遺体はすでに一部白骨化が進み、首と胴体等が分離し、納体袋、棺内は体液、血液の漏出、それに雨水が加わり、引き上げる前に体液、血液を排出し、臭いを消すため、石灰を撒き、土を埋め戻した。

遺体が毛布にくるまった状態の場合、毛布を剥ぐと皮膚が剥がれた状態となった。

 

7~8月の夏の掘り起こし作業は臭いも酷く作業員には難儀となった。
作業を請け負った建設業者等は作業の継続を拒否し、その後は葬祭業者が引き受けた。


掘り返され、引き上げられた遺体は新しい納体袋に入れ、新しい棺に納め、蓋にはテープを貼った。

火葬場で予め家族に火葬時刻を示し、入炉前に家族は遺体を改めることなくお別れした。

 

一部ではあるが、掘り起こし作業を遠目で確認した遺族もいた。

また、まれではあるが(主に子の父)が掘り起こされた遺体を、本人であることを自ら希望して確認した例もある。


仮埋葬は当初は自衛隊の手で行われたが、厚労省生活衛生課は今でも一部に土葬が残る三重県、和歌山県の土葬事例を参考にした。

今回は年を期限とした一時的埋葬であったにもかかわらず、掘り起こされることを前提としない事例を参考にしたため、穴は深く掘られた。
これが仮埋葬後の掘り起こしを苦渋に満ちたものにした一因である。

例外があった。



女川では、仮埋葬を自衛隊が行わなかった。

 それが幸いした。
厚労省生活衛生課の考えた処理法とは無関係に行われた。

住民は仮埋葬を「火葬場再開までの一時的処理」と理解した。
土は浅く掘り、むしろ棺の上を土で覆う、という程度にした。



女川では火葬場への通路を確保し、火葬が再開されると、棺の上の土を払い、住民が連携し、棺を小型トラックに乗せ、火葬場に運んだ。

遺体の腐敗は進んだものの、棺は保たれた。


③風葬


死体の骨化、解体を自然に任せる方法である。

日本では、内陸地では人里離れた山(霊山とその地ではされていた)の麓などを墓地と定め、そこに死体を置いてきたり、また、海岸地方では海岸の洞窟に死体を運び込んだ。


そして動植物が他の動植物の遺骸がそうであるように、動植物、バクテリアが食し、自然に解体し還るようにさせた。


「自然葬」というなら、風葬こそが自然葬であった。

古来から中世にかけて、風葬は土葬と並ぶ一般的な葬法であった。

日本人の歴史を考えるならば、最も長期的に行われた遺体処理は風葬であったことを覚えておいていい。

 
土葬は近世以降(室町時代末期の戦国時代以降)に一般的になった葬法である。

 

火葬は歴史は古いとはいえ、一般化したのは明治末期以降で、6割という大勢を決したのは戦後のことである。

 

そういう意味では火葬は近代の葬法である。


④水葬


海に遺体をそのまま沈める葬法である。

 

今でも航海中に死んだ場合には水葬が船員法で認められている。
といっても実施はきわめて例外的である。

かつては漁村では漁師などの葬法として行われたところもある。

 

この他にチベットの天葬(鳥葬)などいくつかの葬法がある。


二次葬


火葬が行われる場合、一次葬が火葬、焼骨を墓地や納骨堂に納めたり、散骨することが二次葬になる。


かつて沖縄等で遺体を甕に入れて骨化するのを待ったのが風葬の一種で一次葬、骨化した後、それを洗い骨甕(骨壷)に入れて納骨するのが二次葬。

 

ヨーロッパでも最初土葬にし、骨化したものを改めて火葬したりして遺骨を墓に納める二次葬が少なくない。

 

 

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/