「遺体」の言語的考察ー遺体論①

いよいよ「遺体論」に入る。
あるいは「遺体」を視点とした葬制を見ることになるかもしれない。

j地味な話であるから、関心のある人だけに読んでいただければいい。

その第1回は「遺体の言語的考察」である。

「遺体」の言語的考察ー遺体論①

①「死者のからだ」を意味する語

 

日本語には、「死者のからだ」を示す語にはいくつかある。
その代表的なものは「死体」と「遺体」である。

この2つは同じような言葉でありながら、われわれはこれを日常無意識のうちに区別して用いているように思う。
どう違うのであろうか。
まず、言葉の意味を探ってみよう。


国語辞典で「遺体」の項を調べると

「死んだ人のからだ。なきがら。」(角川新国語辞典)とある。
「死体」の項には「しかばね。なきがら。〔対〕生体」(同)とある。

では、2つに共通する「なきがら」はどうなっているかというと

(亡骸)死人のからだ。しかばね。遺体」()とある。

「しかばね」は「死んだ人のからだ」(同)とあるから、これでは「死体」と「遺体」の区別はつかない。
2つとも「死んだ人のからだ」を意味する同義語ということになってしまう。

もう少し詳しい広辞苑(第6版)で関連する語がどう説明されているか見てみることにしよう。

 

遺体 

(「父母ののこした身体」の意から) 自分の身体。人のなきがら。遺骸(いがい)


死体(屍体)

死んだ人や動物のからだ。死者の肉体。死骸。「――遺棄罪」。


なきがら(亡骸・亡躯)

 魂のぬけがら。死体。しかばね。


しかばね(屍・尸)

(「死にかばね」の意)死人のからだ。死骸。なきがら。かばね。むくろ。「しかばねかんむり」の略。


かばね(屍・尸)

死人のからだ。なきがら。しかばね。骸骨(がいこつ)に同じ。「しかばねかんむり」の別称。


むくろ(身・躯)

 (ム(身)クロ(幹)の意)からだ。身体。また、胴体。(「骸」とも書く)首を切られた胴体。転じて、死骸。なきがら。朽木の幹。


遺骸

 死骸。なきがら。遺体。


死骸(屍骸)

 人や動物の死後の肉体。死体。なきがら。 


ちなみに「骸」は音では「ガイ」だが、訓では「カバネ」「ムクロ」である。

 

 

②言葉の違い


これらを見てみると、説明は一見堂々巡りのようでありながら、違いのようなものも浮かび上がってくる。


「しかばね」「かばね」「むくろ」「遺骸」「死骸」は、
「死者の肉体」だけでなく、「死んで骨になったもの」までを意味する時間的には広い概念を有する語のようである。


「死骸」には、人だけではなく動物の場合にも使われる。

したがって、
「肉体が残された状態の死者のからだ」をだけ主として表す語は
「死体」「遺体」「亡骸」
の3つのように思える。

このうち「亡骸」は「死んで魂のなくなったからだ」という一種の遺体観の表現である。
つまり「生きている」という状態は肉体と霊魂が合一している状態のことであり、ここから霊魂が離れることを「死」と称し、霊魂が離れ、死者となった人の肉体が「亡骸」である。

 

③「死体」と「遺体」の違い

 

「死体」と「遺体」の違いはどうであろうか。


「死体」は文字どおりに解釈すれば「死んだからだ」であり、「遺体」は「遺」が「あとにのこす、のこる」という意味であるから「死んで後に残されたからだ」と解釈される。「亡骸」と類似する意味あいをもっているように思う。

しかし、われわれは日常、「死体」と「遺体」を使い分けている。
それはわれわれの「死者のからだ」に対する態度の違いと言ってよいだろう。


「死体」という言葉は「生きているからだ(生体)」と対比される「死んだからだ」という客観的な態度で使っている。

したがって法律では全て「死体」と表記される。
「死体解剖保存法」「死体遺棄」「死体損壊」「引取者のいない死体」「非自然死体」「死体の移動」「変死体」「異状死体」「死体を埋葬」「『火葬』とは、死体を葬るために、これを焼くことをいう」等。

それに対して「遺体」は、死者に対する礼節をもった、大切にする態度で用いている。
「ご死体」とは言わないが、「ご遺体」と言うことがあることにそれは現れている。
死体を物体として見るのではなく大切な、大事にされるべきもの、つまり二人称(近親者)から見た死体のことである。
または近親者の心情を考慮して大切に扱われる死体のことである。

 

3)「遺体」に対する態度

 

「遺体」という語には「死んだ肉体ではあるが、それまでは生命が宿っていたものであるから尊敬されなければならないもの」という意味あいがあるように思う。

別な言い方をすれば、
死体に向き合ったときに、そこに生きた人のいのちへ尊敬の念を抱いて表現するときに「遺体」と言うのである。


「葬儀(葬送)をする」ということは、死者のからだを自分とは無関係な単なる死体として処理するのではなく、大切なかけがえのないいのちの宿った「遺体」として扱い、尊敬の態度をもって葬ることを意味する。

例えばエンバーミングされるのは、近親者が死者を大切に思う気持ちから依頼されるものであるから「死体」ではなく「遺体」である。
葬儀に関係する者、エンバーマーは、徹頭徹尾、敬意をもって「遺体」として取り扱うのである。

英語でも用法が似ている。

乏しい知識で解説するならば、デッド・ボディdead bodyは文字どおり「死体」であるし、コープスcorpseも「死骸」といった意味あいである。
これに対して、リメインズ
remainsは直訳すれば「残されたもの」で「遺体」を表す。

 

(注)
派生的に述べるならば、「遺骨」は敬意の対象であるが、それだけではない。
刑法
190条に「遺骨損壊」とある。
この法律の対象とするのは、一つはかつて土葬(埋葬)された死体(遺体)が骨化したものをいう。
もう一つは死体(遺体)が火葬された結果の焼骨のうち原則として近親者によって拾骨(骨上げ)されたものをいう。

火葬された焼骨の全てが「遺骨」ではない。

日本では地域により拾骨の習慣・習俗が異なり、主として西日本が「部分拾骨」であり、主として東日本が「全部拾骨」である。
このため「拾骨された焼骨」が「遺骨」と扱われる。

なお、「散骨(自然葬)」では、拾骨された焼骨を細かく砕いて海や山等に撒くのであるから、撒かれるのは「遺骨」である。

 

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/