遺体は公衆衛生上安全か?

遺体は公衆衛生上安全か?

 

遺体のすべてが公衆衛生上リスクが高いわけではない。
だが、同様に言えることは「リスクが高い遺体もある」ということだ。
問題は、多くの場合、その判別がないままに遺体は病院から搬出されていることだ。

「病院が死亡退院を許すのは、公衆衛生上の危険がない、と判断しているからだ」
というのは事実に即さないきれいごと。
「病院が死亡後、死後のケア(死後の処置)をしているので、公衆衛生上は安全である」
というのはほとんど妄言に近い神話。
この神話を信じる医療関係者、葬祭関係者が案外多いのに驚く。
医療関係者、特に医師、は死亡判定後についてほとんど関心を示さない人が多いのは極めて残念なことだ。

神話の怖さはリスク対処をしないことにある。
適正なリスク対処をすればいたずらに怖がる必要はない。

 

したがって、遺体に敬意を払い、尊厳を確保すると同時に、取扱で注意すべきものは、感染症等からのリスクへの対処である。

 

①病理解剖500例の分析

 

森吉臣(獨協医科大学教授【当時、現名誉教授】。専門:病理学)は

遺体を扱う立場にある者(葬儀関係者、医療従事者など)は、多くの遺体が病原菌に汚染されており、不注意に扱うと感染を受ける可能性があること、また、公衆衛生上も周囲環境を汚染する危険性があることを認識する必要がある。しかし、だからといってむやみに恐れる必要はまったくなく、病原体や感染症に対する知識を修得し、予防法、消毒法を身につけて正しく対処すれば危険性はなくなる

と、説く。


森は、獨協医科大学越谷病院において行われた病理解剖500例を分析し、その結果を以下のように述べた。


500例の解剖例中、感染症が認められたのは、全体の65.2%の326例であった。感染症が認められなかったのは、残りの174例で、34.8%であった。特にここで注意すべきことは、感染性の高い肝炎ウイルス感染症や結核症が比較的上位を占めていることである。肝炎ウイルス感染症が35例、結核症が18例、また重症感染症である敗血症が19例で、合計72例である。これは500例の解剖症例中14.4%に相当する。


遺体内の細菌の増殖は経過時間によって飛躍的に増加する。
それは一般的な菌である大腸菌を尿10ml102乗個入れて実験すると24時間経過後に107乗個まで増殖した。
遺体は死亡後の経過時間に比例してリスクは高まる
(以上、森吉臣「遺体と公衆衛生」、『遺体衛生保全の基礎』所収に基づく)


病院等の医療施設での死後の処置は、死亡直後に行われることが多く、死亡後2時間以内がほとんどである。
いわゆる「死体現象」が発生している事例の割合は低い。
また、死後の処置は、死後硬直が顕著になる2時間前までに行うことが原則となっている。


死後の処置によって「死体現象」をなくする、止める効果はまったくない。

「死体現象」の進行を止めるにはエンバーミングを処置する以外の方法はない。
(しかし、病院で死亡直後にエンバーミングが処置されている例は今はない。)


「死体現象」の進行を考えると、「遺体管理」ということで最も重要になるのは、遺体が家族に渡され、葬祭事業者に管理を委ねられる以降が最も重要になる。

 

②開示されない感染症情報

 

感染症については、感染症法による一類、二類、三類および指定感染症は厳しく管理されていて告知も義務づけられている。

だがそれ以外の場合、感染症を主な死因とする死亡以外は、たとえ感染症を保持していても、死亡診断書、死体検案書に記載されない。

病院と懇意な場合は医師が把握している限りの感染症についての情報は葬祭事業者に注意する旨が伝えられることがあるが、多くの場合には個人情報保護を理由に開示されない


また、主な死因でない場合には、医師は遺体が保持している感染症のすべてについて把握していないケースも多い。

先の病理解剖結果は30日以上経過して判明することが多く、その結果は遺族にも葬祭事業者にも開示されないことが多い。
また、開示されてもすでに葬儀は終わり、火葬され、焼骨ななっている。

したがって死亡後に看護師等の医療関係者、介護関係者、葬祭事業者が遺体を取り扱う場合、危険な感染症を保持していることを前提にスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づいて患者のみならず遺体も取り扱う必要がある

 

スタンダードプリコーション

どの患者(遺体)も感染症の有無に関係なく感染症を保持しているという前提で、手洗いの励行、うがいの励行、環境の清掃を行う。
また、血液・体液・分泌物・嘔吐物・排泄物などを扱うときは、手袋を着用するとともに、これらが飛び散る可能性のある場合に備えて、マスクやエプロン・ガウンの着用。
また使用器具等は滅菌、消毒する。

 

院内感染の流行から、スタンダードプリコーションは、厚労相においては看護師教育内容基準等には採用され、また高齢者の介護施設でも危険認知と対策強化がなされている。
だが、より危険度が高まる葬祭事業者への指導は弱い

推測するに、医療施設、介護施設においては集団感染発生の危険度が高く、集団発生が生じると社会問題化することがあるのだろう。
遺体の場合、病院や施設外に出た場合、発生源のリスクは同等以上だが個別化されるため、施設、場所が厚労相の管轄を離れるため責任が問われないことによるのだろう。


葬祭事業者が組合等を通じて自衛策として研修をしているが不充分である。
葬祭ディレクター技能審査のテキストでは遺体取扱時のスタンダードプリコーションの内容を示し、必要性を説いているが、葬祭事業者における実態としては、このリスクに対応する熱心度で事業者格差が大きい。
(ちゃんと対策している葬祭事業者もいれば、まったく無関心な葬祭事業者もいる。葬祭事業者の選択は、見積金額が高いか安いか、だけではなく、こうした対処をきちんとしている事業者であるかも見分けることが重要になる。これが「葬祭サービスの質」の一つだ。「お金がすべて」かのように考える消費者も愚かであるし、「葬祭サービスの質」を説明しないで、「低価格のみ」を宣伝する葬祭事業者はおかしいのだ。)

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/