■葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」更新
本日(2019年7月1日)、葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」が更新され、第7回「告別式から見える葬儀の変遷」
https://souken.info/himonya7
がアップされた。
現在の葬儀の場所の多くは斎場(葬儀会館)で行われている。
これは1980年代の中旬より始まった流れで、1990年代に大勢となった。
全国的に激しくなった斎場(葬儀会館)建設ラッシュ(それを消費者が受け入れたこと)による「斎場戦争」による。
2010年以降、斎場(葬儀会館)も葬儀の小型化を受けて「家族葬専用会館」等と称しての小型化が進み、小型分散化が主流となっている。
「葬儀は古来の風習であるからあまり変化しないもの」
といわれたものだが、近代となった明治維新以降、時代と共に大きく変動し、戦後から現在に至るまで大きく変容し続けている。
今回の試みは、「告別式」という観点から戦後の葬儀変遷を概観しようとするものである。
■戦後を大きく分岐するもの
何も「葬送」の世界だけのことではないのだが、日本の「戦後」は「高度経済成長」と「高度経済成長終焉以降」で大きく分岐している。
今は時代的には「平成」の30年間に象徴される「高度経済成長終焉以降」の時代にある。
高度経済成長が「拡大」「都市化」「マイホーム」「一億総中流」「流行」「マスメディア」「医療の高度化による延命」等の用語で語られるならば、高度経済成長終焉以降は「停滞」「過疎化」「家族分散」「格差社会」「多様化」「SNS」「少子高齢化」等の用語で語られる。
もとより、時代は明確に分かたれるものではない。
高度経済成長期の半ばからその時代の問題点が指摘され、次の時代の予兆が語られる。
また住んでいる地域によっても感じる変化は10年くらい違ってくるものである。
また、いずれの時代においてもそうであるが「個体差」は大きい。
「葬送」について述べるならば、高度経済成長期には「葬儀」では「祭壇」「会葬者の増大」による「社会儀礼化」が極端に進み、「墓」では都市化に伴う都市部での激しい「霊園開発」が行われ、「墓石」のブランド化、建て替えが顕著となった。
高度経済成長終焉以降には、「葬儀」においては「家族葬流行」に象徴される小型化傾向が顕著となり、「墓」は「墓不況」に陥り承継者不要の「永代供養墓」「合葬墓」「散骨(自然葬、海洋葬)」「樹木葬(樹林葬)」が流行し、「ハカジマイ」「放置墓」も話題となった。
■臨終、看取りの変化
高度経済成長期においては死亡の場所は「病院」が多くなった。
自宅死8割、病院死2割の世界が、自宅死2割、病院死8割の世界に変化した。
「生活の中での死」が「生活外での死」に変わることで、「死が見えなくなった」時代へと入る。
しかし病院死であっても、危篤となると少なくない人数の家族等が駆けつけるケースが多かったが、高度経済終焉以降の時代にある現在は危篤と聞いても駆けつける家族は少数化し、あるいは誰も看取らないケースも珍しいものではなくなっている。
今、「死亡の場所」で顕著な変化が見られる。
1955(昭和30)年は「戦後」といってもいい時期であるが、「高度経済成長期」の始まり、1975(昭和50)年は「まさに高度経済成長期」、1995(平成7)年は「高度経済成長終焉」の始まり、2015(平成27)年は「まさに高度経済成長終焉」の時期、2017(平成27)年は最新統計(2018年版は本年9月公表予定)。
1995年と2017とを比較すると、「病院+診療所」は77.1%⇛74.8%と微減、「自宅」は18.3%⇛13.2%と微減に対し、「介護老人保健施設+老人ホーム」が1.7%⇛10.0%と顕著に増加している。
老人施設に「看取り加算」がついたことによる点も大きいが、過去において老人施設では危篤となると病院へ搬送し病院死となったものが施設で看取るケースが増加している。
これにより老人施設での、看取り、死後のケア、葬儀への関心が急速に高まっている。
在宅看護へは「在宅ターミナルケア加算」がついて在宅での看取りを促進する動きがあっても「自宅死」はさほど増加していない。
家族分散・縮小がますます進み、また介護体制が問題を抱えて充実が進まないことも影響している。
■変化は途中
「高度経済成長期」と「高度経済成長終焉以降」では大きく変化し、その時代は30年間となっている。
しかし、まだ留まってはいない。
問題は大きく深く、さらに変化せざるを得ないだろう。
「社会」もそうであるが、「葬送」の世界も同様である。