■葬研「碑文谷創葬送基礎講座」更新
葬研のサイトで「碑文谷創葬送基礎講座」を連載している。
原則月2回、1日と15日に更新されるが、休日にあたると平日に繰り下げ、または繰り上げとなる。
7月15日は休日であったために7月16日にアップされた。
今回が8回目、テーマは
「家族葬」流行現象を分析する
https://souken.info/himonya8
「家族葬」が流行する前に「密葬」が呼び水になった。
この「密葬」の定義をめぐって
「本来密葬とは本葬を前提とするもの」という僧侶たちを中心に批判が出た。
当時も私は反論を展開したのであるが、改めて書いた。
■「密葬」を巡る議論
僧侶が書いたり言ったりすると権威があるかと受け取られ、大方の葬祭事業者もそれにならったものだ。
今でも知ったかぶりをする人間はこれをもち出す。
いまの葬式の個人化が定着した時代ではいわば「戯言(ざれごと)」にしか聞こえないが、当時は鬼の首をとったかのように都合の悪い現象を切って捨てようとする僧侶たちとそれに追随する者たちがいたのだ。
葬式というのは昔から本人および家族ら近くにいる人たちの選択すべきもので、よく事情を承知しない者が「いい、悪い」をいうべきものではない。
しかし一つの選択は周囲に波紋を投げかけることも事実である。これはいたしかたない。
よく考えずに選択する者も常にいる。
周囲にいる者ができるとすれば、いろいろ起こりうることを事前に説明し、その選択がよりいいものになるよう事前に情報を提供することである。
ある特定の選択を強制するのではなく。
■「異なる常識」が併存する時代
現代とは葬送を巡って一つの常識が支配する時代ではなく、世代、地域、生活環境等によりさまざまな常識が存在し、併存する時代である。
誰にとってもあたりまえのことは少ない。
だからどんな選択も批判、非難される可能性がある。
いわゆる葬式をしない「直葬」を選択した場合、
「他人に邪魔されず別れ、送ることができた」と満足する人
「なんて寂しい、本人の尊厳はどうなったのか」と怒り、悔しがる人
「せめてお顔を見てお別れしたかった」と気持ちの処理ができずにとまどう人
「せめてお坊さんを呼びたかった」と不足感情を抱く人
さまざまである。
■姉の葬式のこと
私はたびたび5年前の姉の死と葬式について書いてきた。
姉はがんが発見された時ステージⅣ。
進行が早く、姉も死を覚悟していたので、生前姉を交え家族でこれまでのこと、家族への想い、そして死後のことも率直に話し合った。
特に私たち家族が知らない姉の知人たちのことが気がかりだった。
姉は知らせるべき7人の友人を指定した。
7人のみと言うことではなく、その7人に知らせれば関係ある人に連絡がいく、という意味であった。
残されることになる姉の夫と一人息子のことを姉は案じていたので、その2人には何もしないで済むようにした。それは姉の強い希望であった。
特に死別直後の煩わしさを極力排した。
なすべきことはきょうだいである2人の弟たちの責任とした。
病院で死亡した後、自宅に搬送、安置。
通夜は自宅で家族、いとこたちのみで行った。
5時間にわたるこの密度の高い時間は大切なものであった。
関係者には葬儀に来てくださるなら葬儀へ、とお願いした。
葬儀は葬儀を依頼した会社の葬儀会館で行われた。
開式の2時間前には会場入りしたが、早い人はもう来場していた。
姉の関係者には名前は聞いたことがあっても顔を合わせることは初めて。
兄と私が手分けして姉の知人たちに挨拶し、姉との関係、姉への想いを聴いた。
この時間は私たちにとってとても貴重なものであった。
姉について知らないことを教えられ、姉を再発見した想いであった。
葬式は、予想をはるかに超える会葬者が来て混乱した。
家族席がどこということもなくなった。姉の夫と息子以外は離ればなれに適当なところに座り、私の息子たちは後ろに立ったままでいたものだから会葬者に葬儀社の社員と間違えられた。
火葬は家族、いとこだけが立ち会った。
9カ月の闘病生活、死亡の衝撃で家族はくたくたであった。
だから火葬を待つ時間、気を遣う他人がいなく、それぞれが呆けたように勝手に過ごせたのはありがたかった。
5年後。姉の夫が認知症となり、グループホームに入っている。私たちきょうだいの関心はいま義兄とそれを世話する姉たちの息子のことである。
彼には「親父の葬式もおじちゃん頼むよ」といわれているので、自分の死は義兄を看取った後、というのがせめての希望である。
■死を想う
この歳になると、さまざまな死、葬式に立ち会ってきた。
先日は姉の1年前に死亡した従妹の七回忌に行ってきた。
死亡直後の緊張はないものの、深い寂寥が覆っていた。
従妹の家族にも新しい生活が始まっていた。
そのことをうれしく思うと同時に、従妹を介して長く付き合ってきたそれぞれの人生を味わうように感じていた。
一人ひとりその生死はそれぞれである。
その死は、いかに避けえないとしても、そして自分も死をいずれ迎えるとしても、それは重い。
それぞれの生死が異なるように、その葬式の仕方はほんとうにそれぞれである。
形は似たようなものであるにせよ、その中身は固有である。