葬祭サービスの歴史的文脈ー葬祭サービスとは何か?(1)

以下、昨年度に季刊誌『CORI』に連載した「葬祭サービスとは何か?」を数回に分けて掲載する。 1年をおいて掲載するのは雑誌に対する仁義のようなものである。 掲載にあたって手を加えている。 本稿の対象は葬祭事業者である。 第1回は「葬祭サービスの歴史的文脈」である。 葬祭サービスの歴史的文脈~葬祭サービスとは何か?(1) 「葬祭サービス」という表現はいまや葬祭業を語るときに一般的な表現としてある。 しかし、その歴史は、本格化してまだ約20年にすぎない。 1955(昭和30)年以降に日本では「葬祭サービス」と... 続きを読む

個人化時代の葬儀(2)‐弔いのあり方

個人化時代の葬儀(2)―弔いのあり方 昨日(2018年2月4日)の朝日新聞「弔いのあり方」第1回「お葬式」について昨日1回目を書いた。 https://hajime-himonya.com/?p=1560 きょうは私が寄せた談話について書く。 談話をまとめた高橋記者も苦労したことだろう。 何せ中世から現在までの葬送の転変を、私が寄り道しながらダラダラ話したものをまとめるのであるから。 しかも取材に来た翌日昼には原稿にしてメールで送ってくるという早業! 18時には修正して戻してほしい、という。 取材にき... 続きを読む

民俗、習俗にとっての遺体ー遺体論④

「遺体論」は今回をもって最終回とする。 民俗、習俗において「遺体」とはどういう存在だったのか?―遺体論④     はじめに 古来、日本人は遺体をどうとらえていたのであろうか? ここで葬儀習俗に残るものを手掛かりに述べるが、そういう形に定着するまで時代変遷があったはずである。 たとえば民衆が地域共同体を確立する以前はどうであったか? 都市での民衆の死体が路傍や川のほとりに棄てられていたという光景が伝えられるが、そこで民衆は人の死、そして遺体をどういう目で見ていたのだろうか? 単純に... 続きを読む

弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③

弔われない遺体   ①行旅死亡人(身元不明の死者)   1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。 この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。 第7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をな... 続きを読む

葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②   ①葬制   人が亡くなると葬儀が行われる。 ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。 この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。 この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。 さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。 「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。   ... 続きを読む