「家族」…この不思議なもの

「家族」というのは不思議なものだ。 多くの人にとっては、疑いようのない濃い人間関係なのだろう。 しかし、それ故、強い反発と憎悪の対象にもなり得る。 また、家族を私物化してしまうこともある。ほとんどが無意識のうちにだ。それがいつのまにか、相手への肉体的、精神的暴力となったりする。だが、それを意識化することは極めて困難である。 あるいは「関係を断つ」ことには相当の覚悟が強いられたり、いったん離れると、再度の関係づけは難しい。 「犯罪」というのは、「外から来る」と漠然と思っていることが多いが、実はかなりの確率で... 続きを読む

死の授業―個から見た死と葬送(14)

死の授業 「健全な時代」と言うべきなのだろうか。 私たちの青春時代には、背中にベタッと死が張りついた感覚で生きていたものだ。 だが、目の前に座る学生たちの目には、珍しいことを見るような好奇心、あるいは理由もない怖れの感覚が支配しているように見えた。 そもそも授業内容に関心がなく、席に着くなり堂々と机の上に両手と頭を落として寝だす無関心な者もいる。 初めて耳にすることなのだろう。死というのは年齢・性別・健康かどうかに関係なく突然侵入してくることがあること、高齢者の終末期の状況、人が死ぬと腐敗すること、昔は乳... 続きを読む

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 母の初盆 厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。 昨年も厳しい夏であった。でも母は元気に先頭に立って歩いた。その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。だから今年の夏は母の初盆である。 本堂には100人以上の人が集まった。法要の後、住職が立って言った。 今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めること... 続きを読む

掃除のプロは寺にいる

家にいると、今までやらなかったことを普通にやるようになる。 といっても、ほんの少しだが・・・ いつも10時には四畳半に籠る。その前の、かつては車に乗っていた時間が空く。 昨日ははなれの窓ふき。今朝は座敷、玄関、廊下…昭和初期の建物なので障子が多い。はたき(といっても昔のものとは違うが)をかけ雑巾で枠や柱を拭く。 地方に行かない時は事務所に朝から夜まで祝日、土日関係なく籠る生活だったから、普通家で当然やっていたことをまったくやっていなかった。家にいるようになったので、あたりまえにやるようになった。といっても... 続きを読む

姉の最期の記録

このブログにたびたび書いてきたが、がんの終末期にあった姉が死亡した。その直前のいとこへの通知から、各所への報告とお礼、と私が記したものを掲載する。 ①危篤に際してのいとこたちへの通知 ご無沙汰しております。 叔母さまが施設の方へ入られたとうかがってますが、その後いかがでしょうか? 本日は、姉・祐子のことで報告いたします。 昨年5月に大腸がんで、肝臓にも、リンパにも転移していてstage4であることを宣告され、その後、腸閉塞で入院等してまいました。 4月に入り、入浴等でも介助が必要となり、数回目の入院をして... 続きを読む