「家族」というのは不思議なものだ。
多くの人にとっては、疑いようのない濃い人間関係なのだろう。
しかし、それ故、強い反発と憎悪の対象にもなり得る。
また、家族を私物化してしまうこともある。
ほとんどが無意識のうちにだ。
それがいつのまにか、相手への肉体的、精神的暴力となったりする。
だが、それを意識化することは極めて困難である。
あるいは「関係を断つ」ことには相当の覚悟が強いられたり、いったん離れると、再度の関係づけは難しい。
「犯罪」というのは、「外から来る」と漠然と思っていることが多いが、実はかなりの確率で家族や親戚といった近い距離で発生している。
そのほとんどは「家族」や「親戚」という関係になければ発生はしなかっただろうことである。
「家族」と言うと、それぞれがわかった気になることが厄介である。
実はその関係は多様で、濃淡も異なるのだが、自分の家族関係に引き寄せて考えてしまいがちだからである。
「家族」という語は、認識よりも体験に深く影響される語なのだろう。
死別だけではなく、生きて家族を喪失することもある。
それもぼんやりと。しかし、確実に深いところで。
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