「家族」…この不思議なもの


「家族」というのは不思議なものだ。

多くの人にとっては、疑いようのない濃い人間関係なのだろう。
しかし、それ故、強い反発と憎悪の対象にもなり得る。

また、家族を私物化してしまうこともある。
ほとんどが無意識のうちにだ。
それがいつのまにか、相手への肉体的、精神的暴力となったりする。
だが、それを意識化することは極めて困難である。

あるいは「関係を断つ」ことには相当の覚悟が強いられたり、いったん離れると、再度の関係づけは難しい。

「犯罪」というのは、「外から来る」と漠然と思っていることが多いが、実はかなりの確率で家族や親戚といった近い距離で発生している。
そのほとんどは「家族」や「親戚」という関係になければ発生はしなかっただろうことである。

「家族」と言うと、それぞれがわかった気になることが厄介である。
実はその関係は多様で、濃淡も異なるのだが、自分の家族関係に引き寄せて考えてしまいがちだからである。

「家族」という語は、認識よりも体験に深く影響される語なのだろう。

死別だけではなく、生きて家族を喪失することもある。
それもぼんやりと。しかし、確実に深いところで。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/