「葬祭サービスとは何か?」の第3回である。 第1回は、「葬祭サービスの歴史的文脈」 https://hajime-himonya.com/?p=1563 第2回は、「死者・遺体の尊厳を守る」 https://hajime-himonya.com/?p=1565 ■「遺族ケア」の文脈 日本の葬儀で「遺族のケア」が課題になったのはそんなに古いことではない。 1990年代以降のことである。 特に米国から「グリーフワーク」、「グリーフケア」という言葉が紹介されてからである。 米国では、特に戦後のサナトロジー、デ... 続きを読む
カテゴリー: グリーフ
民俗、習俗にとっての遺体ー遺体論④
「遺体論」は今回をもって最終回とする。 民俗、習俗において「遺体」とはどういう存在だったのか?―遺体論④ はじめに 古来、日本人は遺体をどうとらえていたのであろうか? ここで葬儀習俗に残るものを手掛かりに述べるが、そういう形に定着するまで時代変遷があったはずである。 たとえば民衆が地域共同体を確立する以前はどうであったか? 都市での民衆の死体が路傍や川のほとりに棄てられていたという光景が伝えられるが、そこで民衆は人の死、そして遺体をどういう目で見ていたのだろうか? 単純に... 続きを読む
弔われない遺体、近親者にとっての遺体―遺体論③
弔われない遺体 ①行旅死亡人(身元不明の死者) 1899(明治32)年にできて1986(昭和61)年に改正された法律に「行旅病人及行旅死亡人取扱法」がある。 この法律の第1条に「行旅死亡人と称するは行旅中死亡し引取者なき者をいう」とあり、具体的には「住所、居所もしくは氏名知れずかつ引取者なき死亡人は行旅死亡人とみなす」と定められている。 第7条には「行旅死亡人あるときはその所在地市町村はその状況相貌遺留物件その他本人の認識に必要なる事項を記録したる後その死体の埋葬または火葬をな... 続きを読む
遺族の肖像・東日本大震災アーカイブ⑥
◎遺族の肖像―3・11の被災者 ■「記憶がゴチャゴチャ」している被災者 女川町から転出した人たちだけではなく、残った人たちもさまざまな転変をよぎなくされた。 ほとんどが犠牲者と何らかの関係があった人たちである。精神的に大きな打撃を受けたことに加えて環境の大きな変化を受けた。それがそれぞれにさまざまな変化を強いた。 「復興」といっても、それは女川町の人々を大震災以前に戻すことではない。 家族、親族、隣人、知人の喪失、暮らしの環境の激変…これらは戻ることはない事実である。喪失、激... 続きを読む
妻を捜す 東日本大震災②―個から見た死と葬送(22)
妻を捜す 3月11日以降、私の胸のなかを風が吹きすさび、ときおり内部に奥が見えない空洞が広がり、心を揺さぶり続けている。 捜す。 東日本大震災発生直後は、毎日遺体安置所に通って、新しい遺体を確認して回るのが日課だった。妻が見つかればと願い、でも妻ではなかったことにどこかで安堵していた。 4カ月経った今では、新しく収容される遺体は日に数体あるかないか。多少類似している遺体を見せてもらうのだが、近づくのを拒むような圧迫するような臭いのバリアが立ち込めている。鼻が殺がれ、目が窪み、遺体には生前の面影を偲べるもの... 続きを読む