『死顔』

新しい仕事にとりかかる。
まずは手はじめのデッサンというところ。
これは「著作」というよりは、私にとっては「仕事」である。
デッサンしてみて少し見通しがついた。
明日から本格的に書き始めることになる。
コツコツと書こうと思う。

本屋で吉村昭の遺作『死顔』(新潮社)を買い求める。

彼の死が覚悟の死であり、それが彼にとっては「自然死」だったのであろう。読む側にも覚悟を求めている。そんな本である。

彼は自分の死が招く家族の想いが見えなかったのではない。
それは兄の死に際しての嫂などの家族への思いやりでもわかる。
若い頃に結核で死線を彷徨った体験、両親やきょうだいと死別を重ねた体験からか、死に対して潔い人であった。
剛い人であったと思う。

1点気になったのは、彼が推敲を重ねる人であっただけに、特別な想いで用いているのであろうか、「焼骨」を名詞ではなく、動詞として用いていることだ。
言うまでもなく、「焼骨」は「火葬されて焼かれた骨」という名詞として私たちは使っている。
「…前年に癌で死亡した母も、この火葬場で焼骨された」
「…死後できるだけ早く焼骨してもらい、…」
おそらく「焼いて骨にする」という意味で用いているのであろう。
無論「焼骨」自体が、墓地埋葬法に「焼骨の埋蔵」とあるだけで、広辞苑にもない言葉である。
「焼かれた骨」と解するか「焼いて骨にする」と解するか定説がないのだから、どちらでもいいか。
つまらぬことが気になった。

『死顔』は自分の死と重ねずには読めない本である。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/