誕生日

61年生きてきたことになります。
早生まれでしたから、小学4年くらいまでは同級生より少し遅れていました。小学3年くらいの通信簿には同級生に遅れていることを心配する教師の書き込みが残っています。
クラスでも目立たず…

ところが小学5年くらいからはじけてしまい
何かと目立つし、教師には叱られるし
何かと面倒な子になったようです。

生き辛かったのは高校生の頃
自分の死を観念的に考え、怯えて生活していました。

大学生活は乱読と…の日々
苦しくはありましたが、何とか自分の思想を打ち立てたいと無謀な日々を送り、周囲に心配させました。

孤独を感じると、あえて新宿の歌舞伎町をあてどもなく歩きまわったものです。

この時代、芥川や太宰の世界に取り込まれ、自分の晩年は40と決めていました。それ以降の40過ぎた自分をまったくイメージできませんでした。

ところがいざ40になると、このハードル意外と低いものでした。
でも余生という感覚がありましたから、生活のために生きることは早く辞めたいと考え、44にして独立しました。

独立にあたり、院生のときに使用していた、いわくつきのペンネームを復活させ、そして17年

いよいよロートルです。これをメンテナンスしながら、どこまでもつかな…という状況
何も長くもたせようとは思いません。あえて短くしようとも思いませんが。

目の前にある溜まりに溜まった仕事を嘆息しながら、何とか消化することを迫られています。常にいつ仕事を落としてしまうかという恐怖との背中合わせ

雑誌も7月で100号

ここまで無事乗り越えられたら、長い休暇をとり、あてどもないドライブを楽しみたい、などと夢想しています。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「誕生日」への4件のフィードバック

  1. 少し遅くなりましたが、おめでとうございます。思索を積み重ねた面構えは、一流ですね。ますますのご活躍を楽しみにしております。

  2. 友人が1月19日生まれの人を紹介してくれました。同じ誕生日の碑文谷さんにもお裾分けしまーす♪
    ケーキのロウソクの数は増やした者勝ちです!どんなに頑張っても追いついたり追い越したりできないし(生きている間は)残りの本数は誰にも判りませんが、“同時に一つ増える”人が居るっていうのは嬉しい事です。
    1983年 宇多田ヒカル(歌手)1977年 林美穂(タレント) 1974年 川本真琴(歌手) 1972年 藤本恭子(タレント) 1970年 ウド鈴木(キャイ~ン・タレント) 1966年 ステファン・エドバーグ(テニス) 1959年 白井貴子(歌手)1957年 柴門ふみ(漫画家) 1954年 松任谷由美(歌手) 1948年 丘みつ子(女優) 1945年 佐高信(評論家) 1943年 ジャニス・ジョップリン(歌手) 1909年 水原茂(元プロ野球) 1862年 森鴎外(作家) 1839年 セザンヌ(画家) 1809年 エドガー・アラン・ポー(作家)

  3. ハッピーバースデイ♪
    今年も碑文谷さんにとって
    良いとしになりますように。。。

  4. 慧さん、akiさん、tamagoroさん、皆さんありがとうございます。akiさんも同じ誕生日、早く追いついてくださいな。
    昨夜は男3人衆を半ば強制して誕生飲み会を開催しました。

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