暖冬だということですね。
スキーとかには出かけませんので実害はないですが
スキー場経営の方は大変なんてものじゃないでしょう。
テレビでネギでしたか、いつもなら雪の下にあって守られるのだが、雪がないためカモ(?)に食べられてしまう、という被害もあるとか。
大雪による被害、災害も困りますが、暖冬はまた問題あるようです。
都市住民としては、これでもそれなりに寒いので春が待ち遠しいのですが、勝手というべきでしょう。
仕事を進めるうえで困るのはテーマ探し
これといったテーマが見つかるまで、あーでもない、こーでもない、と迷いっぱなしです。昨日、「これにしようかな」と思ったのがあるのですが、少しピンとこないのでスケッチだけに止めておきました。
正解でした。
きょう電車に乗っていたとき、ふと着想
「これだ」と思いました。
これでやっと書き進められます。
着想するまで、もういろいろ読みます。
人間を相手にするので、何かヒントがないか、と探しまくります。
過去に書いたものを再利用できないか、などといったセコイことも考えます。
欝が少し入っていますから、着想を得ないときは
「俺はもう仕事できない」
と自信喪失、人生の限界だ、とまで真剣に落ち込みます。
午前中に穴に入り込むとその日一日は仕事になりません。
ひたすら、本の世界に入り込みます。
趣味がないので、有効な気分転換ができません。
よくものを書く人が午前中原稿を書いて、午後はしたいことをして、夜はノンビリと、というペースで毎日書き続ける、という話を聞きますが、私には不可能です。
よく「気力」「精神力」という話が出てきますが、これは私には無縁です。
そんなのは着想がわいた後の話
ま、基本的にはナマケモノなのでしょう。
書いている途中で行き詰るのもしょっちゅうです。
「プロ」じゃないのかもしれません。
「プロ」としては落第なのかも
「プロ」と言えば、
先日の武蔵野大学でのシンポジウムで葬儀を専門学校で教えている大竹さんが「僧侶は何のプロか?」と突っ込んでいました。
僧侶は宗教(仏教)のプロでしょう。でも日常関わる葬式・仏事では儀礼は無事すます力はあるでしょうが、そこで死者、遺族に相対するという面では必ずしもプロでない現状があります。儀式を一通りやっておしまいでは葬祭に関わるプロとは言えないでしょう。
では葬儀社、葬祭ディレクターは葬祭のプロかと言えば、プロの人もいることはいるが、必ずしもそうでない人が結構います。
専門的知識の面では葬祭ディレクター技能審査によってレベルが格段と向上していますが、それぞれ異なる遺族の気持ちに寄り添って、真のプロとして関わっているか、といえば不十分な人も多いように思います。
自分の書き手としてのプロ失格から、他の方のプロへの疑問に話は流れてしまいましたが、話は私がしばしば「プロ失格」状態に陥ること。
書く、話すという立場にある私は宗教についても「素人」であることは許されないので、布教や修行はしませんが、宗教がもつ力、危うさについては自分なりの考えをもつ必要があるので、これも最近の課題です。
塩野七生さんが15年かけて『ローマ人の物語』(新潮社)を完成させた、というのはプロの仕事だと、敬意です。
それに比べると、私はいま書くものに精一杯、先の見通しは全くと言っていいほどありません。やはりプロ失格です。
でも、きょうはいま書こうとしているものについて着想を得たので、抗欝剤の力を借りて、とりあえず目の前の仕事に取り組みます。仕事を完成させないと、確実にプロ失格ですから。