雨が…

今朝は5時半起床
早速ウォーキングに出かけました。
妙正寺川に沿って歩き、妙正寺公園に戻ったのが6時20分
毎朝の体操が始まっていたので参加
でも雨が落ちてきて5分くらいで中止
ラジオ体操ができませんでした。
雨の中を10分歩いて帰宅
全身シャワーを浴びると、気持ちのいいこと

きょうはこれから横浜です。
初めてみなとみらい線に乗って行きます。
渋谷から直通
初体験にワクワクしています。

先日、座談会である方が
「出棺前のお別れで携帯のカメラで遺体を写している」
と問題視
これは遺体に対する畏敬の念がなくなったのか?
私は遺体に対する恐れの感情がなくなり、親しみの感情表現ではないかと思うのですが
どうでしょう?

ご心配いただきありがとうございます。
気ままにやらせていただきます。
ある方が「風に乗る」とアドバイスいただきました。
理想です。
「そうありたい」とは思うのですが
あくせくする性は修正が困難です。
だいぶペースダウンしましたので少しずつ上げることも考えています。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「雨が…」への5件のフィードバック

  1. 今朝の雨はとても激しかったですね。
    その後の暑さはちょっと辟易しました。
    気持ちのいい朝を迎えられて素敵ですね♪
    また明日も良い一日になりますように。

  2. 以前、エンディングセンターの“知っ得セミナー”でお会いしました新米行政書士です。
    その後、たびたびこのブログを拝見しては蔭ながらご様子を心配いたしておりましたが、復調されたとのこと、ホッといたしました。
    >私は遺体に対する恐れの感情がなくなり、親しみの感情表現ではないかと思う
    年齢を重ねられて、硬化するどころかかえって柔軟に幅広くものごとを語られる碑文谷さんのお考えに、著作でもこのブログでも、感銘を受け続けております。
    おっしゃる通り、人の死というショッキングな出来事を前に、興味本位でシャッターを切る人というのはまずいないはずで、眉をひそめる以前に、これは死のとらえ方が変化してきていることの顕れなのだと受けとめたほうがすっきりといたします。ただ、そういったことに気づくことのできるかたは、そう多くはないことも事実でありましょう。
    次世代の人のすることに目くじら立てるのでなく、「こういう見方ができるなんて」と驚いてゆけるように私もなりたいと考えるようになりました。
    碑文谷さん、どうぞまだまだお元気で、後進へ心眼をご教示しつづけてくださいませ。

  3. そういえば、この問題は暫く前に新聞に掲載された事がありました。
    >私は遺体に対する恐れの感情がなくなり、親しみの感情表現ではないかと思うのですがどうでしょう?
    人間は、恐怖心や拒否感情のある対象を、タブー化や聖域化するような事もあると思います。
    そうする事によって、その事に触れなくて済む理由付けが出来ます。
    恐れの感情がなくなる等、ご指摘のような事はあると思います。
    最近では、葬儀の様子を葬儀社さんや専門の業者さんが写真に記録に残してくれると伺います。
    10~20年前はどうだったのでしょうか。
    神聖であり悲しみの場で写真なんか撮るのは不謹慎!
    などと言われたのではないでしょうか。
    これは、葬儀に対するタブーや嫌悪が無くなったので、業者さんに頼んででも写真に残す人が増えたのではないかと思います。
    生きてるうちから葬儀の事を考えるのが当たり前の世の中になったのもそうです。
    昔なら、縁起でもない!で終わりだった事でしょう。
    個人的にどうするか?と聞かれれば、ご遺体の写真を撮る事には大きな抵抗感があります。
    しかし、映像として残しておきたいという方の気持ちを否定する事は出来ませんし、否定する権利もありません。
    悲しみの表現や思い出の残し方は人それぞれだからです。
    携帯のカメラという事ですが、仕様上、シャッター音が「チロリロリーン」などと鳴ります(笑)
    フラッシュが光ったりもするでしょう。
    これは他の方に迷惑となりますので、よくはないとは思います。
    もう一つ、携帯のカメラは不謹慎や非常識という声もあると思いますが、これは明らかに間違いです。
    カメラを常に携行している方はごく少数です。
    予めご遺体の写真を撮ろうと思ってカメラを持って来る方も居ないでしょう。
    その時の気持ちから「写真として残しておこう」という事だと思います。
    コンパクトカメラだと良いのか、何十万もする一眼なら良いのかという事にもなってしまいます。
    また、写真として残す事は、後で見る為とは限りません。
    写真として残す事に意義があるのでしょう。
    確かに、携帯のカメラでご遺体を写す事は不謹慎だったり非常識な行動に見えます。
    しかしそれは、表面的な行動だけ見て非常識としているように見えます。
    特に葬儀関係の方には、行動だけではなく「心」を見て問題解決に当たって頂きたいものです。

  4. はじめまして。私は山形県のJA葬祭事業に携わる葬祭スタッフです。
    常日頃から先生が出版された「葬儀概論」を愛読させていただいております!
    さて、日々の業務においてお客様から弔事・弔電を読み終えた後の祭壇への捧げ方(作法)について質問を受けたのですが、表書きを祭壇に向けて置くのか、逆向きに置くのか正式な作法はあるのでしょうか?
     
    また、香典を祭壇に供える時の表書きの向きについても正式な作法・理由があるようでしたら教えていただきたいです。

  5. 門脇様
    投稿ありがとうございます。
    『葬儀概論』をお読みいただいているとのこと、ありがとうございます。
    ここは私的なブログですので、回答は記しません。ホームページからメールを送っていただけると、メールで回答させていただきます。
    要は慣習で決まりということではありません。一般には相手方に向けて出します。名刺を渡すときの要領ですね。
    故人に渡すのだからというのが理由です。
    でも説明つかないものがあります。献花は茎が向こうを向いておかれますが、最近は逆に花を祭壇に向けておかれるケースも出てきました。故人向けというのが理由です。
    慣習はその時代の考え方で、また、時代により変わるものです。
    そういったことはたくさんあります。

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