夏の記憶

8月6日は62回目の広島原爆投下の日
そして
8月9日は長崎原爆投下の日

私が生まれる半年前の出来事である。
もはや「戦争」という範疇を超えた「虐殺」
としか言いようがない。

東京大空襲にしてもしかり
戦場ではないところでの虐殺

軍はその前に「本土決戦」という言葉を用いていたが、これも「戦争」という範疇ではない。
民衆虐殺の自演行為

戦後、子ども心に当時の記憶にある心象を回顧すると
戦死者、行方不明者への想いの強さと生き延びたという安堵感、そして「生活」へのエネルギー

某政党が「生活第一」と言っていたが、「生活」を金科玉条にするのは私の感覚としては違和感がある。
生活は本能であり、それは極めて自己本位なものだとという感覚が私にはあるからだ。
「生活」は美辞ではないと思うのだ。
生活を犠牲にせよというのでは無論ない。
一人ひとりの生活を守るということは大切なことなのだが、これをスローガンに掲げることには抵抗感がある。

今年の8月は取材を中心にしようと、それにとりかかっている。
ちょっと休止しただけなのに感覚がうまく合っていない感じがするからだ。
社会は生き物で、自分が停まるとその動きにうまく焦点が合わない。
あえて遠ざかろうと小説を濫読してみたりした。
いろいろと発見もあった。

密着と距離
これを繰り返しながら「見る」ことを続けるだろう。
できるだけ視点を変えて見る
限界はあるが、単眼では現実はよく見えない。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/