倫理嫌い

明日からまた寒くなるとか…

年老いてますます強くなるのが「倫理嫌い」

もともと「倫理」という言葉が好きではない。
もともと「立派」という言葉が好きではない。

人間は、などというと大げさだが、自分を省みると

ボロボロ

呆れるほどだ。
だから他人のことは言えない。

最近嫌なのは「上から目線」
「自分は正しい」
なんて奴は信用できない。

私の生涯「愚かさ」ばかり
でも、そこに居直っている自分がいる。
老いるごとに居直りは強くなる。

前にも書いたように思うが(物忘れと繰り返し、開き直りは老いの証拠)、
私は自分の舌と耳を信じていない。
いまグルメブームだが、美味い、不味いがわからない。
欠食児童の世代にはわかるはずがない。
子どもの世代ははるかに舌の品質が優れている。
音感もない。
才能もあるだろうし、訓練していないこともあるだろう。
しかし、好き、嫌いはある。

振り返って、別の人生は?と仮定することもない。
どだい、そんな都合のいい話はないからだ。
現実というのはくつがえせないものだし、その必要もない。

最近とみに自分の心身との馴染みが薄くなっている。
要するにコントロールができないのだ。
もっと老いると馴れることができるかもしれないが。

「変化」について書くことが多いが、
「変わる」ということは、何かを得ると同時に何かを喪うことのような気がする。
「変化に追いつけなくなった」
と言われるかもしれないが。
私は未来に楽観的ではないし、そこまで責任をもてない。でも現在において足掻くことは止めないだろう。

「若さ」に羨望することはない。
もともと自分が若い時「遅れてきた青年」と思っていた。
だが、若い世代に期待はしている。
でも彼らも苦労するだろう。

つまらない、呟き
笑って見逃してくれれば幸いです。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「倫理嫌い」への3件のフィードバック

  1. 「いただきました! 星みっっつでつ!」

    「日本料理とフランス料理を星で(並列に)評価できるのか」という批判は、すでに新聞にまで書かれている。 それはそれとして、評価について、評価に支えられて生きてきたことに気づかず過ごしてきた身として書いてみる。 およそ「偏見」と呼ばれるものは全て、評価の繰り…..

  2.  突然のトラックバック失礼致します。
     以前から拝読して、一方的にシンパシーを感じておりました。
     もしご一読いただければ、幸いです。

  3. LG18さん
    こんなブログを読んでくださり、リンクまで貼っていただき、恐縮です。
    現場にはいろいろ大変な問題が生じますね。教えていただけると幸いです。

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