仏教タイムズに、曹洞宗宗務荘重談話「憲法擁護と不戦の誓い」が出ていた。宗門の戦争責任は92年の「懺悔文」、これを踏まえてのものという。
そこでは
「明治時代以降の近代戦争における教団の戦争協力と侵略行為について、アジア世界の人々に対して戦争責任を認め、さらに、当時、仏教という平和を希求した人々の生命を重んじる宗教でありながら、戦争に積極的に加担し、太平洋戦争後35年間もこの責任の表明を為しえなかったことに対して謝罪を表明しています」
と言及している。
その「懺悔文」を見ると開教伝道への反省が主眼となっている。
末尾は
「われわれは、重ねて誓う。二度と同じ過ちを犯さない、と。そして、過去の日本の圧政に苦しんだアジアの人びとに深く謝罪し、権力に組みして加害者の側に立って開教にのぞんだ曹洞宗の海外伝道の過ちを心より謝罪するものである」
とある。
戦争責任はしかし、これだけではなかろう。
権力に巻き込まれた面があるにせよ、檀家や民衆を扇動し、戦争翼賛の一員を担ったことへの痛苦を感じる必要があろう。
もちろん、これは曹洞宗だけではなく、仏教諸派もキリスト教も同じである。
今回の談話で一番力が籠もっているのは
「私は今(07年)、改めて当時(太平洋戦争開戦時)に思いを馳せるとき、国家等に強いられた戦争や侵略行為は多くの尊厳ある生命を奪い、特に犠牲となったのは、命令を下した為政者ではなく、一般の人々とりわけ社会的弱者であったことに万感交至る思いであります」
きれいな文章である。
これに悪意があるというのではない。
しかし、きれい過ぎる。
権力が悪くて大衆は被害者だとする構図
これは戦後の平和運動にも一貫して見られたものだ。
しかし戦後の「一億総懺悔」をいまさら言うものではない。
あんないい加減な、戦争責任を蹴散らかすような言動はない。
戦後最初の首相である東久邇宮や朝日新聞等が唱えた「過去の日本人の犯罪をなかったかのように忘れ、再出発しようとすること」が、戦後日本の禍根となった。
しかし、権力にのみ責任を追及することで終わらせることは危険である。
現に戦後の人間は「戦争に無関係」だった時代ゆえにぬくぬくと生きてきたではないか。
戦争に行った者、後衛にいて応援しながら被災した人間は、「被害者」としてぬくぬくと生きてきた。
生活苦はあった。私も戦後の欠食児童の一人だから、多少はわかる。
青木新門さんなどは満州から妹を喪って帰ってきたのだから、その辛さ、たいへんさは生活だけではない。
いま80歳前後の高齢者の中にはびっくりするようなアナーキーな人が少なくない。
軍国少年、特攻隊上がり、闇市を生き延び、戦後の高度経済成長を支えた人々である。
敗戦後に価値観の大転換を迫られ、釈然とせず、有意な価値観に信頼をおけないでいる人たちである。
偶に話をする機会があると圧倒される。
こうした人々の心の中を覗いてみたいという想いがある。
寡黙で一見家庭を大切にする、その人たちの想いを知りたい。
非難するのではなく、その人たちを知ることこそが近づく道のような気がする。
私の家は明治以来の軍人一家である。曽祖父は西南戦争から始まり、日清戦争に将校として参加。一兵卒ではない。日露のときは病気に倒れ、参加しなかったが。いずれにしても侵略のしかも指導者だった。
父は士官学校を目指したが、近眼で撥ねられ、牧師になった。戦時中は憲兵に監視されたというが、翼賛行動には参加したようだ。
弟は戦死した。
戦後、進駐軍が来て、米国宣教師と親しかった父は一気に町の名士になった。
私は戦後の生まれであるが、負の意識は私に根強くいまもある。
「時代」というだけでは免責されない、それが思想というものだ。
被害者面だけでは思想ではない。
12月8日、ラジオではジョン・レノンの特集をその前後にしていた。
80年12月8日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日であるが、
41年12月8日は太平洋戦争開戦の日でもある。
もっとも37年の日中戦争から数えたほうがいいかもしれない。
憲法9条は守るべきだとは私も思う。
だが「戦争か平和」の分岐点ではもはやない。
誰もが「平和」を語る時代である。憲法9条改正派にしたって好戦的なのはほんの一部である。
もはや「戦争反対」を唱えるだけでは免罪符にはならない時代である。
私が小学生であったとき、兵役を経験した僧侶でもある教師に教えられた。
たびたび先生の家にもお邪魔した。夫人も優しく、手料理をご馳走になった。
その先生には習字も習った。
温和な社会科の教師だった。
その教師が当時、「鬼の日教組」(いまあとかたもないが)の指導者の一人であった。その教師は本物であった。
自己の体験した歴史との葛藤がその活動を支えた。
小学高学年の私に「自立」「自分で考える」ということを教えてくれたのはその教師であった。
話はがらっと変わり、
おかげさまで私の腰はほぼ完治。
しかし、このところ体調崩し、その中で講演に動き回ったもので、いまはダウン寸前。
昨夜は10時間寝て、今朝は医者に行った。
「おなかにくる風邪」が流行っているらしい。それではないかと言われた。
インフルエンザの予防接種は済ませたが、それでいいわけではないらしい。
皆様、ご自愛を
戦争責任を今考える人(約300字で仏教・番外篇)
葬儀について研究されている碑文谷先生のブログから記事を取り上げる。