クリスマス

きょう12月25日はクリスマスである。

イエス(「イエス・キリスト」と一般に言うが、キリストは尊称。「イエスはキリストである」という信仰告白)の誕生日とされているが、これには歴史的根拠がない。
イエスの生誕祭とされたのは4世紀頃らしい。
ミトラ教の冬至祭をイエスの生誕祭としたらしい。

イエスの復活祭であるイースターも4世紀頃に定着したが、元はゲルマン人の春の祭とも言われる。

つまりキリスト教が拡大、進出の過程で、他の祭を吸収し、意義づけたものである。
しかし、そうすることによって、これらの祭は地域を超えて最大に祝われることになった。

いまの日本でも、クリスマスはキリスト教と関係なく年中行事化している。
元々キリスト教とは史実的に一致しないものだから、問題はない。

クリスマスは誕生を祝う祭であり、イースターは復活祭だが、重要なのはイエスの死を前提にしていることで、イエスの復活という信仰はイエスの死抜きにはありえない。
ある意味では葬式を記念した日である。

イエスという人間を設定してではあるが、誕生と死が大きな祭に発展したのである。

我が家では24日のイブの夜は、結婚以来、讃美歌を歌うことが慣例になっている。自分の好みの讃美歌を次から次へと歌うのだ。
昨夜は最初4曲と決めて始めたが、結局14曲くらい歌った。

昔、子どもの頃は忙しかった。20日過ぎから28日頃まで各所でクリスマスが行われ、その何回かは牧師である父に連れられて参加した。
教会員の方から食べきれないくらいのクリスマスケーキが届けられた。

教会でクリスマス礼拝は25日直前の日曜日に行われる。
イヴに行われるのは燭火礼拝。つまりキャンドルサービスである。
ここで言うサービスは「礼拝」という意味である。

クリスマス・メッセージは「地には平和」である。
だが、この裏にはけっして平和ではない現実、過酷な生が背景にある。
そのことを子どもの頃から思っていた。

私は3代目のクリスチャンである。祖父から始まった。
自分で目覚めて志向した信仰ではないので、「甘ちゃんクリスチャン」とも呼ばれた。高校1年のときに信仰告白して洗礼を受けた。
でも途中、キリスト教界で反逆し、「異端」呼ばわりもされたから、キリスト教界にはいまでも私をよく思っていないどころか、恨みさへもっている人もいる。

この間、後輩で牧師をしている人間に会ったら「あなたはもう歴史的な人物だ」と言われた。
評価の中身は定かではないが、現にキリスト教界内で活動していないので、過去の反逆が歴史的な出来事として記録されているということだろう。

キリスト教の現実世界に及ぼす影響力はいまだに強い。
必ずしもいいことだけではなく「ブッシュのアメリカ」を支えるのは狂信的なクリスチャンである。

私の信仰は素朴である。
「ありのままの人間があるがままに受け入れられている」
ということである。

道義的に高いものが、信仰心が強いものが選ばれて高みに上ることではない。信仰をもったからといって立派な人間になるわけではない。ましてや自分だけが特別選ばれているわけではない。
こうした信仰的錯覚が横行しているが、そうしたものを粉々に砕かれるのが本来のものだ、と私は思っている。

自分がクリスチャンだからといって他の信仰を認めないのは傲慢である。
所詮は教団の歴史は人間がつくってきたものであり、それには過ちが満ちている。
これは「他の宗教に寛容」なわけではない。
所詮は相対的な人間なのだから、優位性を言える立場にはない。

いま仏教各派の僧侶との方と付き合うことが多いが、優れた方が多い。宗教の優劣を論じるなんてとんでもないことである。

「宗教」と言えば
島田裕巳さんの『日本の10大新宗教』(幻冬社新書)
ベストセラーの仲間入りとのこと。
早速読んだが、もう少し突っ込んでいるといいのだが、と思ったが、教えられるところが多かった。
島田さんはオーム問題で日本女子大学を退職し、いまは文筆家として生きている。その勤勉な仕事ぶりはブログ
http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/
で毎日拝見している。
ブログも毎日更新だからすごい。

23日に取材で出かけ、1泊したが、財布も忘れたのだが、財布は現地でクレジットカードで現金を引き出せた。薬をもっていくことを忘れ、ホテルで寝る段に思い出した。

導眠剤もないので一晩中うつらうつら。

途中、起き出し、NHKで再放送の沖縄で占領軍に土地を強制的に取り上げられ、開拓した家族の話を観た。
地域共同体の絆の強さが過酷な体験の共有にある。
その中で生きる土地には家族のアイデンティティがある。
末娘が村に戻り、祖母、父の後を生きる決意をするまで描いていた。
深く感動したが、この物語がカメラの前で起こっていることに、この家族がカメラの前で無理して言ったことではないことを願った。

それでも朝になって眠りについたようで夢を見た。

眠れない私を心配し、いつの間にか次男がホテルに来て、ベッドを入れて寝ていた。そのホテルがいつの間にか群馬の病院になり、眠れない私は外出し、知らない街を彷徨し、夜明けの美しい富士山やらを見る。
そして帰ってくると医師が待ち受けていて「前に言ったように手術しなければいけない」と言う。私は予定があるので手術できないと断る。
病室をぐるぐる回り、自分の部屋にやっとたどり着いてベッドに入り、少し眠れそうだと寝る。起きても息子はいる。
安心してまた眠って起きたら、全ては夢で、もちろんホテルに一人きり。

夢は見るが起きて覚えていることは少ない。なんか変な体験だった。

睡眠不足なので、ホテルで朝食を摂った後、慎重に高速を乗って戻ってきた。
昨夜は薬を飲んで、夢も見ず、ぐっすり眠った。
だからきょうは快調である。

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/