春ですね。
前回触れた本
曹洞宗の南直哉さんと臨済宗の玄侑宗久さんの対談
『〈問い〉の問答』(佼成出版社)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=998288204X
ですが、読み応えがありました。
南さんは危ういところがあります(マイナスの意味ではなく)が、精神的つよさがある方で、玄侑さんは想像力が豊かな方で、内容的に読んでワクワクしました。
こういうのを対談と言うのでしょう。
禅宗という連想で
佐藤研(ミガク)『禅キリスト教の誕生』(岩波書店)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9982597477
を読みました。
佐藤さんは私より2年くらい若い新約聖書学者です。
この2年の差は大きく、私の「現役」時代には直接お会いしていません。
元朝日新聞「心」のページの編集長だった菅原伸郎さんから「是非読むように」とお薦めあった本ですが、おもしろかったです。
「宗教としてのキリスト教」の解体でしょうか。
その豪腕ぶりは新約学の最新成果からキリスト教をまるごと解体しようというのですから、ただものではありません。
こういう方を博覧強記と言うのでしょう。
禅に詳しく、この人にかかればカール・バルトも簡単に切って捨てられます。
荒井献先生のお弟子さんのようで、お名前だけは見ていましたが、読んでビックリです。
これを読んで不思議だったのはなぜか先輩であるはずの田川建三さん(新約聖書学者)に対する言及がないことです。
しばらくキリスト教と遠くあったので、空気が読めていませんが、エキュメニカル・ムーブメントが盛んなようだなと感じていました。かつて滝沢克己先生や八木誠一さんが試みた仏教とキリスト教の原点は同じ(ちょっと乱暴ですが)、ということを、別な角度から試みているという感じです。もっとも佐藤さんは「宗教(的)複数主義」という言葉を使っていますが。
「禅」という方法に着目した試み、ドイツやスペインでは盛んということですが、どうなるのでしょうか。
佐藤さんは神秘主義を再評価するような感じがしますが、私は疑問です。キリスト教の優位性や、ましてやプロテスタントの優位性なんて、そんなもの歴史的に否定されているからどうでもいいことなのですが、また、私も道元さんの思想には強く興味をもっていますが、宗教体験を重視するかのような論理展開は疑問です。
しかし、佐藤さんが指摘するように先進諸国におけるキリスト教の衰退は見事です。日本における仏教の衰退とよく似ています。
これは宗教事情というもので、いまの私にはどうでもいいことです。
最近の私は、良識、正義などという言葉に疑問だらけ、というか、それより自分の弱さばかり痛感していまして、「こっちの方が正しいよ」という議論にあまり関心がないのです。
ですから「宗教の行方」も社会的には関心がありますが、思想的にはどうでもいいことです。
ちょっと乱暴な議論展開ですが。
でもこの2冊を読んで、大いに刺激を受けたことは確かなことです。
たまには頭の体操も必要だということでしょう。