葉桜

昨日は朝から名古屋
東京同様雨でした。

葬儀の世界も大きく変化していますが、葬祭事業者の錯覚に基づくおかしな現象もたくさんあります。
95年以降の葬儀の個人化の流れは消費者主導で行われ、それに葬祭事業者が追随したところがあります。

講演は1時間ですが、そのほとんどを出席された互助会の方々への批判という形になってしまいました。
鼻白んだ様子で聞いていた顔も散見しましたが、終わった後、同意であると言ってきた方もいて、少しホッとしました。
こちらも歳ですから言うべきことは言っておかないといけない気持ちになっています。

いろいろ話しましたが、その一部はこんなところです。
①病院から遺体を葬儀会館へ直送し、枕経が消え、死者が生活の基盤である自宅に帰らなくなったこと。それにつれて遺族、宗教者、葬祭業者で葬儀の持ち方について相談する機会が奪われていること。
②葬儀後の出棺の前に初七日法要をやる愚が横行していること。(これまでは葬儀―出棺―火葬ー初七日法要だったのが、葬儀―初七日法要―出棺となっている)。いっそのこと初七日法要をやめるならわかるが。
③遺族席を前において式中会葬者と向き合わせて座らせること。遺族が弔いに専心できないだけでなく、遺族がその間会葬者の視線に晒されることで緊張を強いらせられている。
④「清め塩」を会葬礼状につけて配るという余計なことは70年代に葬祭業者が「サービス」と称して行ったものであり、もうやめるべきこと。塩が必要とする人は昔のように自宅に帰って、行えばいいこと。
死穢観念を払拭するために即刻やめること。
⑤最近「一日葬儀」を商品化する業者がいるが、会葬者に公開することは1日でも、葬儀そのものは一日で終わっているわけではないので、こんな不見識な商品化は行うべきでないこと。
⑥葬祭業者が宗教者の間をとりもつ「サービス」が一般化しつつあるが、本来は宗教者と遺族が向き合って、コミュニケーションをとるべきなので、宗教者と遺族の間を遮断するが如き「サービス」は不要なこと。
⑦葬儀会館が立派、祭壇が立派、霊柩車が豪華(中にはロールスロイスの霊柩車もある!)…そういうハードの立派さを競う時代は終了し、いかに遺族をサポートできるかが大事になっている。いわゆる接客サービスは向上したが、グリーフに配慮した対応は未熟であること。
⑧「感動つくり」演出は不要なこと。死、死者に対峙することこそが重要なこと。
⑨遺族や弔う気持ちで参列した友人たちに配慮して、合理的な式進行や動線誘導を強制しないこと。
⑩遺体の尊厳を守る意味でも遺体の公衆衛生にもっと配慮すべきこと。
⑪僧侶へのお布施のキックバックが派遣プロダクションや葬祭業者に行われているが、即刻やめること。宗教の収奪は断固やめるべきこと。
⑫葬祭業者の遺族(消費者)への説明はまだまだ遺族レベルで理解できるものになっていないこと。
⑬遺族が自分たちの家族である死者を葬ったという実感のある葬儀にすべきこと。
⑭遺族へのサポートは死亡直後から一連の中で行われるので通夜、葬儀というポイントの式典だけのサービスではないこと。
⑮近親者が死者とじっくり別れる環境を用意すること。
⑯互助会が「通夜式」なる言葉を発明したが、通夜の本質を弁えないことであること。会葬者が通夜に集まる傾向から出たことであるが、会葬者が夜来るのが都合がいいと集まるのは勝手だが、本来は死者と心置きなく別れるための時空間であるべき通夜の本質は変えるべきでないこと。
⑰葬祭事業を「式典事業部」とか「セレモニー事業部」とか曖昧な表現が横行しているが、それは死を隠すものであること。

等々でした。
葬祭分野での市場シェアは47%近くが互助会が占めているのですから、彼らに変わってもらわなければなりません。

講演は聴いた人にいい気分を味わってもらうものかもしれませんが、このところ私の話は葬祭業者には葬祭業者への批判を、消費者には消費者自身の問題の指摘、宗教者へは宗教者への批判をと辛口になってきています。
そのうち呼ばれなくなるかもしれません。

中央線が国分寺付近の変電所が火事になった影響で、朝は地下鉄丸の内線で、帰りも事故の後遺症あり、各駅停車の総武線で。
電車は皇居(江戸城)の外堀を回って走ります。
外堀はご存知サクラの名所ですが、すっかり葉桜でした。
今年はちゃんとした花見をしなかったなと思いました。
きょうは一転晴れています。

埼玉の互助会、親しくさせていただいていましたが、経営破綻でいくつかの互助会が会員を引き取る形になりました。知っている幹部の方も皆おやめになったとのこと。
残念ですが、明日はわが身かもしれません。
仕事の内容のよさと経営は必ずしも比例しません。
経済原則というのはある意味で理不尽で残酷です。

4月16日写真追加

4月15日近くの神宮外苑で撮ったハザクラの写真です。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「葉桜」への1件のフィードバック

  1. ブログを拝見させていただきました。全く同感であります。決して忘れてはならない、又、葬儀社として、伝えていかなくてはならない事だと思います。人生の中で、なかなか経験の少ない(お葬式)。時代と共に変わっていくとは言うものの、それが、葬儀社の主導のよるものとあれば、それは、全てを知った上で、確信できるものでなければならないはずです。市域性、習慣、しきたり・・。葬儀社の作り上げたものは、たくさんあると思います。演出など、新しい葬儀を強調するのもいいとは思いますが、新しいあり方を作り上げる前に、本当のあり方を守っていく事のほうが、自分は大切だと思っております。

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