忙中本を読む

雨が降り、少々寒い日が続きます。
ピンポイントの新宿区の予報を見たら、夜9時頃に上がり、明日からまた20度超えの普通の天気になるらしい。

決まってこの時期は忙しいのだが、仕事が乗らないので、つい横に置いてある本を見てしまう。
そうした罪悪感を抱きながら見ているのは
『大江健三郎 作家自身を語る』(本体1800円、新潮社)
尾崎真理子さんという読売新聞の文芸記者がインタビューして、これに大江自身が応えるという形で進む。

大江の初期の作品、大江自体が「観念的な、イマジネーションだけの小説」と振り返る作品は、当時の私を魅了した。
10歳年長のこの作家の眩しかったこと。

今では彼の自薦作品集からもれた『遅れてきた青年』など、私の観念の代弁者であるかのように親しかった。エッセイ集『厳粛な綱渡り』にも夢中になった。
大江の作品に夢中になり、新作が出るたびに一喜一憂していたのが60~70年代、『同時代ゲーム』あたりから、私は彼が書くものに急速に関心をなくしていった。

石原慎太郎と芥川賞を争って負けた『死者の驕り』に惹きつけられ、翌年大江が芥川賞を受賞した『飼育』よりおもしろかった。
私も早熟な文学少年で、学年で10歳先の彼の後姿を追い、彼が「遅れてきた青年」であるならば私は「さらに遅れてきた青年」であり、彼が「新戦後派」であるならば、戦後生まれの私は「純粋戦後派」であると自認した。

彼が構築したその後の世界は、自分とは異なるものと思っていたが、今回のインタビューを読んで、もう一度トライする価値のある世界のように感じた。
彼は自分の場所を根拠に想像力を駆使してその文学世界を構築したが、それに比べると私は根無し草同様である。

後年の本に彼がgriefに関心を寄せたことが語られている。
それは「死別の悲嘆」ではなく「悲嘆」なのだが。

大江から以下離れる。

griefはしばしば「宥(なだ)める」「癒す」ものとして見られているが、私には違うものだと思える。
初期に書いたものにはグリーフワークも「悲嘆の癒し」と訳したものがあるが、その後は注意深く「悲嘆」と「癒し」を結びつけないようにしている。
友人と突然死別したとき、死を予期していた父の死、そこで受けたグリーフは「癒され」もせず「克服」もされなかったように思える。
死の事実を身を切られる想いで受け止めた私はそのグリーフを心身に馴染ませていったように思うのだ。

後になって振り返れば、父の死は高齢による避け得ない死であると納得し、できれば私は父の年齢までは生きることなく死ぬことを夢想するのであるが、友人の死はいまだに合点がいかない。もう既に感情の高まりはないが。

先日、若い葬祭業に携わる、私が期待している友人がやってきた。
彼は従業員に示す従事者の心得を見せてくれた。おおむねよくできたものだった。ただ一つ「家族のように」を除いて。
死別した家族(=遺族)の想いを大切なものとして顧みる努力は必要なことであるが、葬祭従事者は遺族とはなりえない。さまざまなサポートはできるが、それは自分が遺族ではない、第三者だからである。

葬祭従事者の現場は相変わらず過酷なようだ。
肉体的摩滅が進めば、精神的疲弊も進み、遺族の心情を顧慮することも困難になるし、その状態で感性を鋭くしていったら、自分自身の精神が摩滅していくだろう。
重い疲労が若い彼らを覆うことのないよう願う。

介護の現場、医療の現場、葬儀の現場が、現場で働く人が疲弊していったなら、誰が担うのか?

それらの現場が大切なだけに、大きく危惧する。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/