きょうも穏やかな、陽だまりでは暖かな日です。
いつもは今頃一度雪が降るのですが、そんな気配はありません。
インフルエンザの流行が影響しているのか、新型インフルエンザへの警戒感からか、このところ男女関係なくマスクマンをよく見かけます。昨年まではなかった現象です。
そういう私も、近所の薬局で「メガネが曇りにくい」タイプのマスクを購入、今はマスクをかけていませんが、いざというときに備えて事務所に置いています。
この不況下、マスク業界は記録的な売上増で、新たなタイプも続々開発とか。
気分的には6日の金曜日で仕事は小休止。きょうは理髪店(昔の事務所近くの神宮前にある)に行ってきました。
前の髪はどんどん少なく薄くなっていくのに、後ろ髪だけは豊かで、放っておくとモタッとしてきます。どうも納得できません。
私の原稿が掲載された雑誌が送られてきたのですが、その前に読むものがたくさんあって、まだ目を通していません。
今朝はゆっくり起きようと思っていたのですが、歳をとると早起きになるため、8時には我慢できなくなり布団から出ました。
今夜は新宿であるパーティがあり、私がふだん情報を入手したり、確認している人たちのグループのものですから、顔を出してきます。車は置いて行きますから、早くから呑む態勢です。
明日からまた気持ちを切り替えて新規原稿に着手の予定。
原稿に取り組んでいるときには、頭がパニックになり、また欝の谷間に深く沈殿したりで、気持ちがシーソー状態で、原稿が上がるなどということは信じられない気分、見通しのなさで、もうダメと言い続けているのですが、遅れながら、それも大幅に、でアチコチに迷惑のかけ続けなのですが、それでも何とか、ほんとうにやっと、終えるとホッとした気分で脱力してしまいます。
でもまだ書かないといけない仕事があるので、それは「明日(あした)」からにします。永遠に来ない明日ではなく「明日(ミョウニチ)」から取り組む予定できょうのところはいて、そう自分に言って、きょうは活字を読みまくりです。
「漢字検定」をしている財団法人が利益が上がり、利益隠しのようなことをやっていたことが報道されています。
私も漢字を「読む」のはまだまだ一定の水準がありますが、漢字を「書く」のは弱くなっています。そうした不安をもつ人や企業が社員教育の一環として漢字検定を受検させるのかな、と思っています。
私は文章はパソコンを使って書くのが普通で、メモやゲラへの朱入れくらいしか肉筆を使いませんから、もう私の漢字を書く力は落ち込む一方です。
「ばら」もパソコンでは「薔薇」とすぐ出てきますが、「書け」と言われたらお手上げです。
最近はメモの段階では酷い漢字仮名混じりで、人様には恥ずかしくてけっしてお見せできないレベルです。
「薔薇」ならまだしも、ほんとうに簡単な言葉が漢字で書けなくなっています。
でも「読めない」言葉もあるわけで、先日、仏教用語で「領解」という言葉が出てきました。
私は早合点してこれは「了解(りょうかい)」の意味と同じとして「りょうかい」とルビ(フリガナのこと)をふりました。
意味は間違ってはいなかったのですが、仏教辞典で調べると「りょうげ」と読むそうで。
ま広辞苑にも載っている語で「さとること。会得(えとく)。理解。りょうかい。」と出ています。
そんな失敗をまだやっています。
編集という仕事をしていると「ものしり」にはなります。
執筆者の原稿を読者が読んでくれる状態にするのが編集者の仕事ですから、自分が読めない漢字、意味不明の語をそのままにはできないので、嫌でも辞書をひきます。
場合によっては文章も直します。私の都合がいいように、ではなく、執筆者の意がきちんと読者に通じるようにが主です。なかには執筆者が誤解していることがあるので、外に出る前にそれを阻止するのも仕事です。
読書をしていると、漢字の使い方は、明治のものでも人によって現代とは違うケースがよくあります。
だから辞書もひかず「領解」を「りょうかい」とルビをふるミスをしてしまうわけで、内部の指摘で私の語彙力不足が外に出ないですみ、ホッとしました。
しかし仏教語というのは難しいです。そこに奥深さがあるのでしょうが、コミュニケーションとしては壁になります。
また同じ意味を指すのに宗派により言い方が異なるのもあります。それぞれの伝統、歴史はあるのでしょうが、私なぞは困ります。
「この宗派は…と言い、この宗派では…と言うのですが、意味的には似ています」なんて解説するのですから。
以上、脱力感まるだしのブログ更新でした。