自分の未来は見えなかった

忙しくワサワサして、結果二重予定であることが前の晩に家族に言われて気づき、真っ青。
お会いする予定のお相手に夜遅くに電話して平身低頭して詫びるが、結果大きく迷惑をかけることになった。

呆れられるのはかまわないが、結果関連する方々に少なからずの迷惑をかけたこと。

つくづく自分の愚かさを呪って禁酒日であるにもかかわらず酒を呑み、薬を飲んだ後も呑み続け、その場で沈没、今朝家族に聞いたらとんでもない醜態であったとのこと。

昔は、10代後半から20代前半までは、「40歳」というのははるかな未来で、自分がその歳に生きていることを想像だにできなかった。
まさに「晩年」であった。
それがいつのまにかその歳を迎えたとき、自分が幼く感じて呆然としたものであった。
私は40歳の誕生日、自分の凡人であることに気づき、己の無才を呪ったものである。

その私は先日63歳となった。嬉しいより恥ずかしい感じがする。

そろそろ身仕舞いをと思うが、根っからの整理下手。何にも手をつけていない。

近頃、今の高齢者について考えている。
おおよそ80歳の人が出征したりした最後の人、若く巻き込まれた人もいるから細かくは異なるが。
80歳代の人がまさに青春期を戦時で過ごした人たちである。

80代の人たちが戦時をどう生き、戦後はそのイデオロギーを丸ごと否定されてどういう思いで生きてきたのか。
そして定年後は豊潤な高度経済成長期を生きたことになる。
彼らは「戦後世代」と名づけられた。

70代は戦渦に巻き込まれた少女少年時代。教科書の黒塗りを10代に経験した世代。
70歳前後が60年安保世代である。
大江に倣うなら「遅れてきた青年」たちである。

戦後のベビーブーマー、団塊世代が60歳前後。
60代は戦後の疲弊を幼少時代に経験。戦前世代の意識と戦後意識が激しく葛藤した中を生き、後に高度経済成長の担い手となった。

こんなに簡単に世代を区切ることはできないのだが、死生観が世代意識と深く係わっていることは否定できない。

私たち60代は現在70代の背中を見て生き急ごうとした。

高齢社会と言われる現在のデータ的指標は
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html
の第50-51回に書いた。
書きながら何か「遠くここまできたものだ」という思いがした。

かつては長寿が祝われたが、これからはどうか。
自分の少年時代に未来である今が見えなかったと同様に今自分の未来は全く見えていない。

東京オリンピックの招致運動が行われているが、「自分はそこにもういないだろうから」と無関心な自分がいる。

前回の東京オリンピックの年に私は18歳で上京した。
まだ西新宿にはビル群の気配もなかった。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「自分の未来は見えなかった」への2件のフィードバック

  1. (≧∇≦)tamagoroさん
    年賀欠礼ごめんなさい。何であなたが釣りに熱心なのか、納得がいきましたよ。
    自分がいるかいないかはわからないが、オリンピックは、もし日本にくるなら東京以外がいいと思いますね。

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